[第714回]から抜粋上記は天命数霊術を勉強しているらしい岳陽ブログの読者からのメールを望月岳陽が紹介したものです。
ブログのコメントに投稿しますと長くなると感じましたし、事故被害者の例なので、メールさせていただきます。
「中村隆志」さん(25)が秩父市の山中で遺体で発見された事件」
30万円の預金を奪われて殺害されたと報じられていました。
中村 隆志(天15、地14、総29)であり、語源も良く、3文字以上左右別れではないので「例外」を疑いましたが、縦書きにしてみると「中」の字が「村と隆」を真っ二つにしているような不安な印象があったので、「尖」が災いしたのでは、と感じました。
全く同じ姓名でも、画数と語源どおりの人生を送られた民謡界最高の栄 誉「名人位」の故人・中村隆志氏もおられます。名人の努力と運に「尖」の凶意が跳ね返されたのでしょう。
<中略>
亡くなられた中村隆志さんだって秋田県から上京し、アルバイトをして努力していた矢先だった筈ですから、全くの不運だった、としか思えません。
中村の「中」が「村と隆」を真っ二つにしている「尖」が災いしたんだそうですよ(笑)。
これが本当なら、世の中の「中村」姓を持つ人誰もが天命数霊術で判断されると、不幸があったら「尖」が災いしたと言われ、幸福に過ごせたら努力と運で「尖」の凶意が跳ね返されたと言われることになるでしょう。こんな「どっちに転んでも天命数霊術に都合よく判断される」占いを占いと呼べるのでしょうか?世に数多あるオカルトでさえこれ程いい加減な作り話はしません。
そしてここで最も重要な問題は望月岳陽が「中村隆志」という名前を判断して、「死の危険」があることを伝えられないことにあります。天命数霊術的には良い名前なのだから望月岳陽はこの名前を判断して死の危険を伝える事はできないでしょう。ところが事実彼は死んでしまった。それは「例外だから」で済まされる事ではないのです。人の生死が関わることを商売上の言い訳である「例外」で片付ける訳にはいきません。無論「不運」で済ませることもできません。なぜならその「不運」を避ける為の指導をする事こそ姓名判断の仕事だからです。
上記読者からのメールに望月岳陽は以下のように答えています。
正に、人生において”努力”は必要ですが、”努力”の結果、必ずしも運気が好転し、成功するとは限らない例外があります。この「原則」が曲者です。確かに原則には例外があるかもしれません。しかし「真理」には例外はありません。水素と酸素を結合すれば水が生まれるのは真理です。そこに例外はありません。つまり天命数霊術は「真理」ではないのです。望月岳陽は真理ではない方法を使って人の名前を命名・改名していることになります。これはとても危険な行為です。
実に、神仏は人間を”不平等な格差”に創造していますね。
先日も、世の中、人間の”死”以外は、何事も100%のことはない!と、記載しましたね。原則には必ず”例外”があるものです。その例外を”原則”に対して思考する人は、非常に賢い方です。
でも、理屈どおりに、世の中が”意のままに”ならないのが、不思議な人間社会ですね。
あなたはそれでも天命数霊術を使って命名・改名しますか?