怒髪天のpostで望月岳陽のブログにて臨床医の「わらじ先生」こと早川一光氏のことをすばらしい臨床医として絶賛している投稿を抜粋して紹介しました。
早川一光(天格=7 地格=9 総格=16)<天命数霊術的計算>
望月岳陽はコメントで「語源の悪い光の文字使用」について突っ込まれると以下のように答えています。
コメント有難うございます。そうですよ!「光」は”語源”が悪いのですが、研究者・教育者に適職の地格「9」で、補っていますが、やはり町医者として、苦労はされているのです。投稿済ですが、一般に医者・弁護士は、5大原則の3つの例外に入ると書いてありますね。これらの職業の人は、霊相が低く、一般の人がしないで済む”苦労”をさせられているのです。まだ、「早川」先生は、「9」があるだけでも、一流の医師と言うことがわかります。ブログの「医師・弁護 士にさせないで!」を読んで見て下さい。
望月岳陽は地格の「9」が「光」の語源の悪さを補っていると言っていますね。
さて岳陽は過去のブログで以下のようにも書いているのです。
[第678回]より抜粋
「やはり、また”光=火”の現象だなぁ〜?」
と思いましたよ。
13日、広島県立総合体育館で、プロレスラー「三沢光晴」(46)さんが、試合中、バックドロップで頭部を強打して、救急措置にも拘らず、同日午後10時10分に亡くなりました。
<中略>
ところが、「三沢光晴」氏は、天格9・地格19・総格28であり、”画数”としてはベストですね。「天命数霊術」では、画数の影響は最も重要なのですが、それでも60〜70%であり、後の30〜40%は”語意・語源・音感・龍脈”の影響があると、何度も投稿していますね。
この「光」の字体は、最近でも「赤ちゃんの名づけ」で、「輝」「煌」と同様に使用例が非常に多くみられます。
今までにも、何回となく、「光」「輝」「煌」は、「”太陽”の光ではなく、燃える”火”の光」だから、絶対に使用してはならない字体と、数回投稿しています。皆さん、「漢和辞典」を引いて、”火”であることを確認してください。
これも不思議なことなのですが、”神仏の名”や”神職・僧侶”の名は、”火(ひ)”を”日(ひ)・陽(ひ)に変化させるパワーに従事する者として、天から 許されているのです。ですから、例えば「不動明王」の後背と座位から”火”が燃え盛っているのは、”火”から”日”へのパワーを、民衆に授けるという意味 があるのです。
いかがでしょう?
三沢光晴の「光」と早川一光の「光」のどこが違うのでしょうか?
三沢光晴も早川一光も地格は9系ですね。しかも事故死した三沢は天格も9です。天命数霊術的な常識から比較して早川一光より三沢光晴の方が良いと言う結果になって当然でしょう。それなのになぜ三沢光晴は事故死してしまい早川一光はすばらしい医師になったのでしょう?早川一光は地格9が「光」の語源の悪さを補っていたのに、なぜ三沢光晴は9系が二つもあるのに「光」の語源の悪さに勝てなかったのでしょう?
この謎が皆さんにはわかりますか?
おいらにはわかります。
だってとっても簡単なんですもの。
望月岳陽が天命数霊術に都合の良いようにねじ曲げて解釈しているからです。
「やはり、また”光=火”の現象だなぁ〜?」って岳陽が「光」の字について関心しているでしょう?なぜ早川医師の時はそう思わなかったのですか?そもそもコメントで突っ込まれるまで自分からはその話題に触れていないのはなぜです?都合が悪いからでしょう。事実が天命数霊術の判断結果と違っているからでしょう。どうですか?他に理由が考えられますか?
望月岳陽はおいらのブログを含めて自分の説に対する批判意見を「中傷」と呼んでいます。しかし天命数霊術という姓名判断でこれほど事実と矛盾した内容が導出できる以上、常識的に考えても望月岳陽は批判されて当たり前なのです。望月岳陽はこの矛盾した天命数霊術を商売として商っているのです。矛盾した天命数霊術で金を取っているのです。金を払っている人は占いの信頼性に対価を払っているのです。しかしその信頼性が土台からもろくも崩れているとすればどうしますか?岳陽はブログで度々天命数霊術の正しさをアピールしていますが、おいらのブログで何度も証明してきた通り、事実を天命数霊術に都合の良いように歪めて「正しい」と解釈しているに過ぎないのです。これら事実が批判の対象にならない事の方がおかしいでしょう。
天命数霊術が非の打ち所がないほど説明と事実が合致しているなら批判意見など全く出てこないでしょう。そして望月岳陽が天命数霊術を商売ではなく善意からボランティアのみで行っていたとしたら、おいらも批判する事はなかったでしょう。
天命数霊術の正しさは望月岳陽の頭の中だけのことなのです。