[第271回]より抜粋
「わらじ先生」の話
「早川一光」(はやかわかずてる)84歳
京都府立医科大学卒。心療内科専門。京都・西陣在住。
「わらじ医者京日記」で、毎日出版文化賞を受賞。NHK連続ドラマ「とうりゃんせ」(主演;田村高廣主演)で紹介される。
(天格7・地格9・総格16)
先生のスローガン!「自分の体は自分で守る」!
”住民主体の地域医療”で、社会貢献!
<中略>
ボランテアで、ジルバーのグループに講演!「元気で長生きし、果物のように”円熟”したら”ボタッ”と落ちる方法」を説いておられる。
評判・口コミで、全国から患者が訪れ、光明を取り戻し、元気で帰って頂くのが生きがいだとか!84歳とも思えぬお元気なお姿!
全国で、医療ミスなど問題が多い医師の中で、こんな素晴らしい名医が居られたとは!とても感動した話題ですね。
なるほど素晴らしい臨床医師ですね。望月岳陽の称賛通りの医者です。しかし不思議ですね。誰しも疑問に思うはずです。天命数霊術では臨床医師・弁護士は例外な筈です。この医師が地格に9を持っていても関係ないはずです。おまけに”光”という時の語源は悪く、天命数霊術の五つの条件に合致していません。
おいらと同じ疑問を持つ方が同じ[第271回]の投稿にコメントを寄せていました。
エイリさんのコメント
はじめまして早川一光先生語源の悪い光の文字使用 先生の五大条件に即していない気がするのですがどうなのでしょうか?
望月岳陽の回答は以下の通りです。
望月岳陽によるコメントの回答
コメント有難うございます。そうですよ!「光」は”語源”が悪いのですが、研究者・教育者に適職の地格「9」で、補っていますが、やはり町医者として、苦労はされているのです。投稿済ですが、一般に医者・弁護士は、5大原則の3つの例外に入ると書いてありますね。これらの職業の人は、霊相が低く、一般の人 がしないで済む”苦労”をさせられているのです。まだ、「早川」先生は、「9」があるだけでも、一流の医師と言うことがわかります。ブログの「医師・弁護士にさせないで!」を読んで見て下さい。
はあ?ハッキリしない日本語ですが、地格「9」で補っていると言っているようですね。
これまた変な話ですね?望月岳陽は臨床医師という職業が例外だと言っています。だから地格が「9」だろうが「5」だろうが「1」だろうが判断基準にならない筈です。なぜ「9」が補っていると記しているのでしょうか?
参考のためにもうひとつの医師称賛の投稿を見てみましょう。
[第272回]より抜粋
「匠の手を持つ医師」
「上山博康」先生(58歳;脳神経外科医)
北海道大学医学部卒。旭川赤十字病院”脳神経外科部長”。
「脳血管手術では、”日本一”の名医」
(天格15・地格14・総格29)
「全国の病院で、匙を投げられた患者!上山先生の”匠”の手にかかると、不可能な手術はない!」
<中略>
”脳動脈瘤”は、若い人でも年齢に関係なく発生!
年間300件・累計2万件の手術を行い、
「脳血管手術では日本一」!
「”匠”の手を持つ脳外科医」!
として、再三テレビでも全国放映されたので、全国からの患者も殺到!
初診で3時間待ち!とか。
年間300件の手術と言えば、殆ど毎日のように手術と外来で多忙!
しかし、このように極度の多忙でも、重度で北海道まで来れない人には、沖縄まで出張手術!
先生の信条は、「患者と同じ目線で、”命”を大切に思う”心”」!
これこそ「医術は”仁術”なり!」なのである。
この臨床医師も素晴らしい人物であるのには異存ありません。しかいここでも「天格・15」「総格・29」を強調しています。変ですね。臨床医師は例外な筈です。天命数霊術の基準で判断することはできない筈です。それなのになぜ天命数霊術的な好例としてこの素晴らしい医師を取り上げているのでしょう。まったく理解に苦しみます。
しかし望月岳陽のブログをしばらく読んでいくとその答えにたどり着けました。
[第554回]より抜粋
ここでもう一度おさらいしますが、一般の臨床医師や弁護士は、良い名前は少ないと言う例外の現象です。しかし、日本で一流の臨床医師や医学部の教授、法学部の教授には「9・5・1」タイプが多いのも、実に不思議な現象です。投稿済の「匠の手を持つ脳外科医;上山博康」氏や「わらじ医師;早川一光」氏は、臨床医師として一流のため、例外的に良い画数を持っているのです。
なんと「臨床医師や弁護士は例外」であるはずの中にも「例外」が存在していたんです。「例外の例外」です。びっくりです!
望月岳陽は「臨床医師として一流」だから例外的に天命数霊術的に良い「画数」を持っていると言っているのです。
つまり「天命数霊術の判断では臨床医師や弁護士は例外だが、"一流の臨床医師"は例外の中でも例外的に天命数霊術的に良い画数を持っている」と言っているのです。
なんという「ご都合主義」なのでしょう!!
もはや何でもアリですね(笑)。
「例外」って言葉は「通例ではあてはまらないこと」を指しています。望月岳陽は臨床医師と弁護士は天命数霊術の判断では例外になると明言していますね。ところが天命数霊術的に良い画数を持っている"一流の臨床医"は例外の例外だと言っているのです。「通例であてはまらないこと」が例外の筈なのに、あてはまらないことの中に更にあてはまらないことがあると言い、しかもこれが天命数霊術に都合良く「一流の臨床医」だと言っているのです。もっとシンプルに言うと、天命数霊術で当たらない判断は「例外」として定義し、「例外」だけど天命数霊術に都合良い判断は「例外の例外」にして、天命数霊術の正しさをアピールしているのです。
いかがでしょう?
かなりオツムの弱い方でも、これがどのくらい「ご都合主義」なのか理解できるでしょう。
いや、ここまで来るともはや「ご都合主義」なんて生易しいものではありません。
「いかなる事実も天命数霊術に都合の良いようにねじ曲げて解釈いる」と言っても過言ではないでしょう。
これを「欺瞞」と呼ばずになんと呼べばよいのでしょうか?
他に適当な言葉が見当たりません。
もしあなたが、このような解釈が平然となされている天命数霊術を使って命名・改名できるのだとしたら、その勇気は称賛に値します。