2009年11月7日土曜日

天命数霊術?検索能力格差社会!

普段おいらはWeb検索にGoogleしか使っていません。そのため今まで気づかなかったのですが、Yahooの検索で「天命数霊術」「望月岳陽」と検索してみると、なんと、おいらのブログが全く表示されません。Googleでは勿論表示されます。ランキングが下がっているのかと随分後ろの方まで探しましたが、表示されるのはおいらのブログへ「リンク」しているサイトだけで、おいらのブログへ直リンクの検索結果は全く出てきません。

おいらのブログはYahooで最初から表示されていなかったわけではありません。ブログをまだ始めた頃、Yahooの検索を使って、「天命数霊術」「望月岳陽」の検索結果においらのブログへの直リンクが表示されているのを予め確認してあるのです。つまり、なぜか途中からおいらのブログが表示されなくなったのです。

びっくりして調べてみると、Yahooには「問題となる検索結果」の情報を受け付ける仕組みがありました。どうやらこれを使って、おいらのブログが表示されないように、何者かがYahooにおいらのサイトを「問題となる検索結果」として依頼したようです。Yahoo側は検索結果については如何なる問い合わせも受け付けていないため、いつ・誰によってどんな依頼がなされたのかを調べることはできません。また、どのような判定基準でYahooがおいらのブログを検索結果から外すに至ったのかも回答してもらえません。

いったい何者がYahooの検索結果からおいらのブログを削除するために依頼をしたのでしょう?

Yahoo側もそれほどバカではない筈なので、部外者から「あのブログが気に入らない」とか「誹謗中傷だ」と言ったような感情的な依頼で、検索結果に手を入れるとは思いません。検索結果に手を入れるにはそれなりに重要なファクターがあったのではないか、と予想できます。そのファクターとはなんでしょう?

おいらはこのファクターを「著作権」ではないかと考えています。
著作権を持つ者から「あのブログは私が著作権を持つ○○に対して誹謗中傷を流布している。だから検索結果から外して欲しい」と言うような依頼をされると、Yahoo側としても見過ごすわけにはいかないでしょう。

念のため書いておきますが、おいらのブログで著作権法上の違反は全くありません。著作権法第32条には以下のようにあります。
『公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究、その他引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなくてはならない。』
おいらのブログは批評・研究においてこの条文に合致しています。
無論、おいらのブログは個人的な中傷ではありません。国民に真実を伝えるための”学説論争”ですから、”違法性”がなく、”信用棄損”にも”名誉棄損”にもならないのです(笑)。そして、もしこれらを規制するとしたら「思想の自由」を保証する日本国憲法第19条に違反することになります。

ではなぜYahooは、この何者かの要請を受けておいらのブログを検索結果から外したのでしょうか?問い合わせをしてもYahooから回答が得られないため推測の域を出ませんが、この依頼をした人物が実際に○○の著作権を有しているのか間違いない事を確認し、面倒な事になるのを避けるため検索結果に手を入れたのだと思います。Yahoo側は言わば「臭い物にはフタをしろ」なノリで行ったのでしょう。酷いもんです。

では、○○には何が入るでしょう?無論「天命数霊術」か「望月岳陽」かまたはその両方かでしょうね。
いったい誰の仕業なんでしょうかねえ。
どこの誰が依頼したのか知りませんが、薄汚い真似をしますねえ。この依頼者は寒気がするほど薄汚れた精神の持ち主なんでしょうねえ。
文句があるなら堂々と論戦挑んでくりゃいいのに、こそこそ裏から手を回すとは…。
こんなやつの言動を盲信している奴がいるかと思うと、かわいそう過ぎて涙が出てきますねえ。

Yahooには当然おいらのブログ以外にもこのような措置がなされているサイトがいくつもあるのでしょう。Yahooの検索を使っていると、知らぬ間にYahooの判断基準の中で生活するハメになり、大事な情報を取りこぼしてしまう可能性が高いという事ですね。Yahooは使えねえと思っていたおいらのカンは皮肉な形で証明されてしまいました(笑)。Googleもベストではありませんが、Yahooよりは随分マシです。

ニールセン・オンラインの2008年4月の統計によれば、日本の検索エンジンの利用者割合はYahoo!Japanが56.2%、Googleが31.3%だそうです。Yahooの方が圧倒的に利用されています。これを裏付けるように望月岳陽の天命数霊術のブログのコメント欄には、よく主婦らしき人物からのコメントが寄せられています。日本人の半分以上が使っているわけですから、主婦層で検索と言えばYahooを使うのが定番になっているのでしょう、というか、Yahooしか知らないのでしょう。Yahooで検索していては、おいらのブログを読むことはできません。よって望月岳陽の天命数霊術妄言を鵜呑みにしてしまう事態が起きて、症状が進むとコメント欄に投稿するまでになる、というわけです。

情報検索能力の差が我が子の名前のリスクを大きく左右する結果になっている現実というのは、考えてみれば恐ろしい事ですね。十分気をつけなければいけません。そこで一句。

気をつけよう 検索偏向と 岳陽妄言

おそまつ!!(笑)

2009年11月4日水曜日

天命数霊術?ぼけてるの?

望月岳陽がまたチョーシこいて妄言を書きまくっていますね。

[第789回]より抜粋 
『過疎の地域医療;万能の医師!』
という名医が、NHK番組「プロフェショナル」で紹介されました。
今までにも、医療現場の名医;”匠の手を持つ先生”「上山博康」医師(脳外科;北海道・旭川赤十字病院)や”平成の赤ひげ先生”「早川一光」医師(心療内科・京都・西陣在住)などがTVで紹介され、全国的に有名になりましたね。(参照;[第271回・第272回])
<中略>
この医師は、自治医大を卒業をして28歳で、この過疎地に赴任して以来、過疎の地域医療というのは、産婦人科を除く、すべての医療専科(内科・小児科・心療内科・外科など)に精通せねばなりませんので、多忙の時間をぬって、福井県立医大に研修にも出かけるとのことです。
でも、自治医大卒ですから、2年間の過疎地勤務の義務で良いのですが、同医師は、地域の”自宅療養”での訪問診療により、「信頼できる中村先生に看取られて死にたい!」という高齢者の要望と絆により、生涯、地域診療に貢献したいとの意思を固められています。
この医師は、実に地域の高齢者に対して”思いやり”と”研究心”がある方ですが、それは次のように、姓名からも伺えます。
「中村伸一」天格11・地格8・総格19
”中”の次の2文字が”左右別れ”で苦労性ですが、本来、総格19からの”頭脳明晰”であり、地格8の”思いやり”から、天格11の”計画性・企画力・研究心”があるという判断になりますが、「神亀の図;9・5・1」が逆さになっていますので、臨床医師として”若い頃からの苦労性”があるという運勢になり ます。
でも、このような若い医師が、地域医療に貢献したいという”万能の医師”は、全国でも貴重な方で、TVを観て感動しましたよ。


既に何回も取り上げていますが、齢71歳にして望月岳陽の恥知らずさというのは、まったく持って度が過ぎています。恥知らずというか嘘つきです。つくづくこの老人は嘘つきですね。
なぜ嘘つきかって?だって「臨床医師」は「例外」だった筈でしょう?これは望月岳陽本人が何回もブログで書いていることですよ。嘘だと思うなら望月岳陽のブログを読んでみてください。あの老人は何度も「臨床医師は例外」と書いていますよ。臨床医師は例外であるはずなのになんで「中村伸一」医師が天命数霊術のロジックに従って判断されて、それが天命数霊術の正しさをアピールするような文面で語られているのですか?おかしいでしょう?例外とは「通例にあてはまらないこと・原則の適用を受けないこと」を指します。よって中村伸一医師は天命数霊術の判断ロジックでは判断できるわけないんです。例外なんだから。

おいらは何度もこれまでに書いてきましたが、まさに望月岳陽の「ご都合主義」ですね。天命数霊術の判断と違っている時は「例外」と言い、判断と合致している時は「ほらみろ天命数霊術はすごいだろ」という態度なのです。望月岳陽はこうして頻繁に天命数霊術の都合の良いように解釈した解説をブログに投稿して、なんとか自分の信者を増やそうと必死になっています。みっともないことです。これほど愚かしい岳陽の屁理屈に騙される頭の悪いノータリンは日本国にはいません!!あ、残念ながら全くいないわけじゃないけど…(苦笑)。

[第790回]より抜粋
でも、考えて見てください。
①「努力しなくても、成功する人」
②「努力して、成功する人」
③「努力しても、成功しない人」
④「努力もしないで、成功もしない人」
が、実際に世間にあるパターンですが、①と②で成功する人は、非常に少ないですね。要するに、歴史に残るような成功者は、国民の極く僅か!
でも、「成功しなくても、平凡でもいいや・・・」と諦めている国民は、99.9%でしょうね。
ところが、諦めるのは早いですよ。
この”努力”と”成功”との因果関係は、必ずしもないのです。
③と④の人が国民の殆どであり、成功しないのは「運気」がないからです。その中でも③の「努力しても、成功しない人」が、一番気の毒で惨めであり、実に”腹の立つ運命”ですね。
<中略>
ですから、「天命数霊術」の5大条件が備わった姓名ならば、「Dr.モルツ」の心理学的開運術と同様に、「努力なくして、成功する。」方法と共通理論です。例えば、お子さんの場合、塾などどこにも行かず、成績はトップクラスを維持して、難関大学に合格できる”不思議な運勢”を手に入れることができる訳です。”気”と”運勢”こそ、人生を換え、社会貢献できる”不思議な現象”なのですよ。

71歳にもなって何を言ってんだか…(笑)。
”成功しないのは「運気」がないから”というのは確かにその通りです。運がなければ成功しない。しかし”①「努力しなくても、成功する人」”なんて本当に存在するのでしょうか?望月岳陽は誰の事を「努力をせずに成功した」人だと言っているのですか?あなたの記憶の中に「努力をせずに成功した」人がいますか?現代でも歴史上の人物でも、努力せずに成功した人はいますか?

いるわけありません。努力なしに成功する人なんているわけないのです。一見努力とは無縁のスーパーヒーロー長嶋茂雄も、影では大変な努力をしていました。努力しなければ絶対に成功できないのです。
「努力しても成功するとは限らない。しかし、努力しなければ決して成功しない」これは至言です。努力しても成功するのが難しいこの世の中で、努力なしに成功する奴など存在しないのです。

望月岳陽はなんと書いていますか?岳陽は天命数霊術の5大条件が備わった姓名なら”努力なくして、成功する”と書いていますね。その例として”塾などどこにも行かず、成績はトップクラスを維持して、難関大学に合格できる”不思議な運勢”を手に入れることができる”と書いています。よく読んでください。おかしな話ですね。そうでしょう?岳陽は「塾などへ行く」ことが「努力」する事だと書いているのです。文意は「努力なくして成功する」「塾などどこにも行かず難関大学に合格する」です。これはとてつもなく変でしょう?難関大学に行く為に塾へ行くことが努力することなのですか?違いますよね?勉強することが努力なのです。猛勉強することが努力なのです。常識的に考えてみてください。勉強せず難関大学に入れると思いますか?入れるわけありません。トップクラスの大学へ進学する者は一日9時間勉強する者までいます。それほど猛勉強しなければトップクラスの大学へは行けません。つまり難関大学に合格できる者はちゃんと努力して勉強しているということです。塾に行くか行かないかなんて努力となんの関係もありません。従って望月岳陽が言う「努力なくして成功する」というのは嘘なのです。

この手の屁理屈には気をつけなければいけませんね。
昔、消化器の訪問販売で「消防署の方から来ました」と言って主婦を信用させ、安価な消化器を高値で売りつけていた詐欺があったのをご記憶の方もおられると思います。「消防署の方」を「消防署の関係者」だと受け手が錯覚するのを利用した巧みな詐欺でした。この望月岳陽の文章も同じです。「塾などどこにも行かず難関大学に合格する」というのを受け手が「努力なくして成功する」のだと錯覚するのを狙ったものだと予想できます。悪質な詐欺行為ですね。
このようにキチンと文意を正しく理解していれば望月岳陽の妄言なぞに踊らされることはありません。

必読!若い命を”強運の名”で”事件死”から守ろう!
[第785回]より抜粋
<中略>
「友」を使用することは、”友人”に運気を与えるので、自分の運気は下降して行きます。そして、「花」は”満開の花”であり、後は”散る”だけの字体です。”はな・か”の呼び名に適合するのは、「華」(これから咲く蕾がある花)なのです。中国では人名には「花」を使用しません。
このような判断から、お気の毒に”若くして花が散った”のですよ。
「天命数霊術」に出会えなかったのも、”運気”がなかったですね。同じ20〜21歳の青年、私が命名したお子さん、東大・京大・阪大などで、記憶があるだけでも、5〜6人健康で在学中です。
姓名一つで、「運気の格差」が観られるのは、不思議だとは思いませんか?

望月岳陽は頻繁に「天命数霊術の5大条件を備えた姓名」ならば「難関大学」「東大・京大・阪大」合格すると記しています。
さて、これら難関大学に合格することが果たして「運が良い」のでしょうか?「頭が良い」という表現なら同意できます。しかし難関大学に合格することが「運が良い」とは、一体どんな基準で語られているのでしょうか?望月岳陽がかつて公務員だった事実を考え合わせると、一流大学を出て入れば高級官僚への道が開ける。高級官僚になれば出世レースに途中でリタイヤしたとしても左団扇な生活が約束されている。…と、こんなことを考えての発言ではないかと予想されます。これはまた随分フザケた話です。望月岳陽はブログで散々「政・財・官」の癒着を批判してきました。その舌の根が乾かぬ内にそのような官僚への道筋を「強運」と指し示しているのです。なんという恥知らずなジジイなのでしょう。

ハッキリさせておきましょう。一流大学に合格することと運の強さは関係ありません。頭の良さは関係あります(笑)。
当たり前すぎる事です。一流大学に合格することが運勢の強さを示すことと同意義なら、一流大学を出ている者は皆成功してハッピーになるという事ですね。事実はどうですか?一流大学出身者は皆成功していますか?違いますよね?事実は一流大学を出てホームレスやノイローゼになる輩までいます。以前に日本最大の難関東大理科三類を経て東大大学院に通う男が、結婚後自分が性的不能なのは妻のせいだと八つ当たりして、DV・ストーカー行為の末に警察に捕まりましたね。こんな馬鹿げた事件が起こる事実からしても難関大学への合格が強運の証明にならない事が十分わかるでしょう。

望月岳陽が度々繰り返して言っている「天命数霊術の名前=運が良い=難関大学合格」はデタラメです。なぜ岳陽はこんなデタラメを流布しているのでしょう。答えは簡単。岳陽は”親の情”を”商売に生かそう”としているからです。これから親になる夫婦は、生まれる我が子の学歴はいいに越した事はない、と心底思うものです。そこで岳陽のブログを見かけます。すると夫婦は「少しでも我が子に有利になるなら…」とフラフラと岳陽の罠にハマってしまうのです。岳陽のブログに書かれてある事柄が本当に正しいのかどうなのか、キチンと検証することもせずにフラフラと岳陽に命名の依頼をしてしまうのです。これが望月岳陽の狙いです。一度ハマって我が子に天命数霊術で命名したら最後です。親は自分の裁量で岳陽に命名を依頼してしまった為、その後おいらのような「天命数霊術=インチキ」という証明をいくら聞かされても、聞き入れる事ができなくなります。愛する我が子に対して「マイナス・リスクの高い天命数霊術の名前をつけてしまった」という事実を感情的に認めたくはないため、聞き入れる事ができなくなってしまうのです。実際には早めの治療が良いのでしょうけど、こうなってしまうとどうにもなりません。

[第790回]より抜粋
さて、1950年代に、当時、世界的に有名だった形成外科医「Drモルツ博士」は、これらの違いは、“ある事”から来ているという発見をしました。  その発見は、心理学史上最大の発見と呼ばれています。
「欲しいものを、何でも手に入れてしまう人」、「仕事をきちんとやり遂げる人」、「目標をどんどん達成して、常に前進している人」と、そうでない人の違いは、Drモルツ博士が解明して、「サイコ・サイバネティクス」という著書に記載されているそうです。
全世界で3500人の体験を、科学的に証明した「メンタルテクノロジー」で”無理なく成功する方法”だそうです。
言い換えれば、「努力なくして、”気と運勢”により成功を収める」方法であり、フランクリンルーズベルト元米国大統領、エレノアルーズベルト夫人、画家サルバドーレ・ダリジムブラウン(偉大なNFLランニングバック) メジャーリーグ選手、NBAのスーパースター選手など多数 。
また、数え切れないほどの億万長者、企業家、セールスマンがキャリアを伸ばすのに、Drモルツに影響を受けているそうです。
さて、私の「天命数霊術」による成功方法も、共通したところがあります。そんなに努力をしなくても、『成功したいと言う”気”を持てば、向うからやって来る”運勢”により成功を収める。』のです。
その”気”を高めるため、「昇運色紙額」の”和気吉祥 魚龍変化”であり、その運勢は「神亀の図」の”9・5・1”のパワーが主なのですよ。
ですから、「天命数霊術」の5大条件が備わった姓名ならば、「Dr.モルツ」の心理学的開運術と同様に、「努力なくして、成功する。」方法と共通理論です。

出ましたね。望月岳陽お得意の「はんぱ知識」が。それもとんでもない大嘘知識ですね(笑)。
岳陽は「Drモルツ博士」と書いていますが、正式には「マクスウェル・マルツ」です。Maltzなのでモルツと読む人もいるようですが、正訳ではマルツと訳されます。「サイコ・サイバネティクス」はこちらの本ですね。元々はマサチューセッツ工科大学の教授のノーバート・ウィナー博士(Norbert Wiener)によって提唱された、「サイバネティクス理論」を形成外科医で臨床心理学者でもあったマクスウェル・マルツ博士が人間の目標達成の理論に応用したものです。
当時ベトナム戦争の復員兵が大量に社会復帰できなくなっている大きな社会問題がありました。外科手術によって不具合を修正した患者の治療前と治療後の心理的変化と社会復帰を観察していたマルツは、やがて「人間の内面に軌道修正しながら本来の自分(目的地)に近づく、あるいは取り戻す機能が備わっているのではないか」という理論を提唱し研究を重ねた結果、1960年に出版された本が「サイコ・サイバネティクス」です。
「サイコ・サイバネティクス」の考え方は平たく言えば、人は潜在意識に目標を刷り込んでおけばそれを意識するしないに関わらずその目標に向かって行動するようになる、ということです。潜在意識とは「自分で意識できない意識」のことです。意識できる意識は顕在意識と呼ばれます。潜在意識とは確かに願望達成やら成功法則やらのHOW TOには必ず出てくる言葉ですね。成功者は潜在意識の使い方に優れているとか言われますが、潜在意識とは意識できない意識なんだからどれだけ優れた使い方がされているかなんて、実際には証明できません。

望月岳陽は「サイコ・サイバネティクス」を”言い換えれば「努力なくして、”気と運勢”により成功を収める」方法”であり”「努力なくして、成功する。」方法と共通理論です”と言っています。
はあ???
デタラメもここまで来ると犯罪ですね。サイコ・サイバネティクスは”気”でもなければ”運勢”でもありません。寝ぼけているのでしょうか?変な言い換えはやめてもらいたい(笑)。”気”は顕在意識ですし”運勢”はサイコ・サイバネティクスにはまったく出てこない概念です。サイコ・サイバネティクスは”努力なくして、成功する”方法ではありません。実際にはかなり難しい潜在意識への目標刷り込みをして、意識しなくとも自然に目標に向かう行動をさせる、という方法です。その行動には努力も含まれています。ただ刷り込みが成功すれば、自然に当たり前のように努力するため、強く努力と感じないだけです。努力をしていないわけではありません。努力なくして成功するなどという都合の良い話は詐欺の中にしかないのです。望月岳陽の説明がまったくの大嘘だということがお分かり頂けたでしょう。

その後サイコ・サイバネティクス理論はサイコ・セラピーと融合して「自己啓発セミナー」になりました。これは今でも流行っていますね。何度か自己啓発セミナーから帰って来た奴を見た事がありますが、異常なほど元気になっていたりします。しかしその元気さもたいして長く続きません。必ず元にもどりますよね(笑)。自己啓発セミナーが対象者を「一時的に勘違い」させているのがよくわかります。

そしてその自己啓発プログラムと訪問販売が結びついて「マルチレベルマーケティング」が誕生しました。マルチレベルマーケティングとは無店舗訪販商法のひとつで、商品の愛用者(消費者)が同時に販売員も兼ねるディストリビュータ方式の販売システムの事です。だからマルチレベルマーケティングの勧誘では必ず「あなたの人生の目的はなんですか?」「今のあなたの毎日は、子供の頃に あなたが想像していた毎日ですか?」という語り口で始まるし、親類や友人など身近な人たちをその人のためと強く信じて勧誘する行動も自己啓発セミナーとそっくり同じなのです。俗に言う「マルチ商法」ですね。おいらも知人からやられた事がありますよ。鬱陶しいったらありゃしない(笑)。

[第769回]より抜粋
<略>
ですから、このブログを読まれている皆さん、自分で独占することなく、1人でも多くの方に普及させるようご協力願いますね。

天命数霊術もマルチ商法だった?!(爆笑)
怪しい商法の天命数霊術に騙される愚かでクズでドジでマヌケな日本国民なんておりません!!
…あ、ぜんぜんってわけじゃないけど…(笑)。

2009年11月1日日曜日

天命数霊術?前回の続き

前回「最良の運勢」について書きました。読んでいない方は前回を先に読んでください。今回はその続きです。

おいらは随分長いこと”運”について研究してきました。こちらに記した通り望月岳陽はおいらのことを青年だと思っているようですが、おいらは青年などではありません。おいらを青年などと本質を見抜けない望月岳陽らしい判断ですね。おそらく文章の上面だけで判断したのでしょう。研究の過程で姓名判断もひと通り調査しました。そうした調査過程を経ていくつかわかった事があります。

最良の運勢の持ち主とは、言ってみればご都合主義のマンガの主人公のような存在です。どんな困難が降ってこようともどんな最悪の場面にぶつかろうともうまく回避できてしまう存在です。いや、そもそも困難や最悪が近寄ってこないかも知れません。仮に近寄って来たとしても、最良の運勢の持ち主は、それが困難や最悪であると認識できないでしょう。なぜなら最良の運勢の持ち主は、どんな状況・状態も良い方向へと振り替えてしまうからです。そういう運を持っているからこそ最良の運勢なのです。そして最後には必ず勝利とハッピーが約束されているのです。

しかし、マンガの主人公ならともかく、現実としてこのような人物が存在するのでしょうか?
絶対に存在しません
あらゆる困難や最悪の場面を全て良い方向へ振り替えできる人間など存在しないのです。これはつまり「最良の運勢」を持った人間はいない、と言うことなのです。考えてもみてください。人間に起こりうる困難や最悪の事態は数限りなくあります。それを全て良い方向へ振り替えられる人間を想像できますか?あなたの記憶の中にそれほどの最良の運勢の持ち主として思い当たる人物が浮かびますか?それほどの運勢ならば冗談ではなく世界制服ができてしまうでしょう(笑)。それほどの強運の持ち主は歴史が記録されるようになってから現在まで存在したことがありません。

そうは言うものの現実として「運の強弱」は確かに存在しています。毎日定期的に乗る電車にその日乗り遅れてしまった、しかし乗るはずだった電車は事故で多くの怪我人が出た。交差点で徐行していたら目の前の車の横っ腹にダンプが突っ込んだ。などというケースは実在します。「運の強弱」の違いとしか解釈できないケースが沢山存在するのです。従って名前になんらかの効果があるとするならば「Best」な名前を作る事は不可能だけど「Better」な名前を作る事は可能なのかも知れない、と仮説を立てる事ができます。

ここであらためて認識しておきたいことは、天命数霊術および熊﨑式姓名判断がそれらの対象にはならないということです。天命数霊術および熊﨑式姓名判断は共に、理論上「最高の名前」を作ることができます。ところが、最高の名前で作られているにも関わらず最悪の結果になっている事実がいくらでも存在します。おまけに両占いとも「家族の影響」を上げています。「最高の名前」で作ったにも関わらず「家族の影響」を受けるのは前回のPOSTで書いた通り矛盾しているのです。両占いがどれほど「正しいように見える」場合があっても、それは偶然でしかありません。偶然は存在します。全ての偶然は可能性の振り子の軌道上の点のひとつです。おいらのブログに前にも書きましたが、真理はブレません。真理はそれ以上分解できない内容ですからブレようがないのです。ブレてしまうのは真理ではありません。つまり天命数霊術および熊﨑式姓名判断は「真理の方法ではない」「正しい方法ではない」のです。正しいの方法は別にあると考えるべきでしょう。