普段おいらはWeb検索にGoogleしか使っていません。そのため今まで気づかなかったのですが、Yahooの検索で「天命数霊術」「望月岳陽」と検索してみると、なんと、おいらのブログが全く表示されません。Googleでは勿論表示されます。ランキングが下がっているのかと随分後ろの方まで探しましたが、表示されるのはおいらのブログへ「リンク」しているサイトだけで、おいらのブログへ直リンクの検索結果は全く出てきません。
おいらのブログはYahooで最初から表示されていなかったわけではありません。ブログをまだ始めた頃、Yahooの検索を使って、「天命数霊術」「望月岳陽」の検索結果においらのブログへの直リンクが表示されているのを予め確認してあるのです。つまり、なぜか途中からおいらのブログが表示されなくなったのです。
びっくりして調べてみると、Yahooには「問題となる検索結果」の情報を受け付ける仕組みがありました。どうやらこれを使って、おいらのブログが表示されないように、何者かがYahooにおいらのサイトを「問題となる検索結果」として依頼したようです。Yahoo側は検索結果については如何なる問い合わせも受け付けていないため、いつ・誰によってどんな依頼がなされたのかを調べることはできません。また、どのような判定基準でYahooがおいらのブログを検索結果から外すに至ったのかも回答してもらえません。
いったい何者がYahooの検索結果からおいらのブログを削除するために依頼をしたのでしょう?
Yahoo側もそれほどバカではない筈なので、部外者から「あのブログが気に入らない」とか「誹謗中傷だ」と言ったような感情的な依頼で、検索結果に手を入れるとは思いません。検索結果に手を入れるにはそれなりに重要なファクターがあったのではないか、と予想できます。そのファクターとはなんでしょう?
おいらはこのファクターを「著作権」ではないかと考えています。
著作権を持つ者から「あのブログは私が著作権を持つ○○に対して誹謗中傷を流布している。だから検索結果から外して欲しい」と言うような依頼をされると、Yahoo側としても見過ごすわけにはいかないでしょう。
念のため書いておきますが、おいらのブログで著作権法上の違反は全くありません。著作権法第32条には以下のようにあります。
『公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究、その他引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなくてはならない。』
おいらのブログは批評・研究においてこの条文に合致しています。
無論、おいらのブログは個人的な中傷ではありません。国民に真実を伝えるための”学説論争”ですから、”違法性”がなく、”信用棄損”にも”名誉棄損”にもならないのです(笑)。そして、もしこれらを規制するとしたら「思想の自由」を保証する日本国憲法第19条に違反することになります。
ではなぜYahooは、この何者かの要請を受けておいらのブログを検索結果から外したのでしょうか?問い合わせをしてもYahooから回答が得られないため推測の域を出ませんが、この依頼をした人物が実際に○○の著作権を有しているのか間違いない事を確認し、面倒な事になるのを避けるため検索結果に手を入れたのだと思います。Yahoo側は言わば「臭い物にはフタをしろ」なノリで行ったのでしょう。酷いもんです。
では、○○には何が入るでしょう?無論「天命数霊術」か「望月岳陽」かまたはその両方かでしょうね。
いったい誰の仕業なんでしょうかねえ。
どこの誰が依頼したのか知りませんが、薄汚い真似をしますねえ。この依頼者は寒気がするほど薄汚れた精神の持ち主なんでしょうねえ。
文句があるなら堂々と論戦挑んでくりゃいいのに、こそこそ裏から手を回すとは…。
こんなやつの言動を盲信している奴がいるかと思うと、かわいそう過ぎて涙が出てきますねえ。
Yahooには当然おいらのブログ以外にもこのような措置がなされているサイトがいくつもあるのでしょう。Yahooの検索を使っていると、知らぬ間にYahooの判断基準の中で生活するハメになり、大事な情報を取りこぼしてしまう可能性が高いという事ですね。Yahooは使えねえと思っていたおいらのカンは皮肉な形で証明されてしまいました(笑)。Googleもベストではありませんが、Yahooよりは随分マシです。
ニールセン・オンラインの2008年4月の統計によれば、日本の検索エンジンの利用者割合はYahoo!Japanが56.2%、Googleが31.3%だそうです。Yahooの方が圧倒的に利用されています。これを裏付けるように望月岳陽の天命数霊術のブログのコメント欄には、よく主婦らしき人物からのコメントが寄せられています。日本人の半分以上が使っているわけですから、主婦層で検索と言えばYahooを使うのが定番になっているのでしょう、というか、Yahooしか知らないのでしょう。Yahooで検索していては、おいらのブログを読むことはできません。よって望月岳陽の天命数霊術妄言を鵜呑みにしてしまう事態が起きて、症状が進むとコメント欄に投稿するまでになる、というわけです。
情報検索能力の差が我が子の名前のリスクを大きく左右する結果になっている現実というのは、考えてみれば恐ろしい事ですね。十分気をつけなければいけません。そこで一句。
『気をつけよう 検索偏向と 岳陽妄言』
おそまつ!!(笑)
2009年11月7日土曜日
2009年11月4日水曜日
天命数霊術?ぼけてるの?
望月岳陽がまたチョーシこいて妄言を書きまくっていますね。
既に何回も取り上げていますが、齢71歳にして望月岳陽の恥知らずさというのは、まったく持って度が過ぎています。恥知らずというか嘘つきです。つくづくこの老人は嘘つきですね。
なぜ嘘つきかって?だって「臨床医師」は「例外」だった筈でしょう?これは望月岳陽本人が何回もブログで書いていることですよ。嘘だと思うなら望月岳陽のブログを読んでみてください。あの老人は何度も「臨床医師は例外」と書いていますよ。臨床医師は例外であるはずなのになんで「中村伸一」医師が天命数霊術のロジックに従って判断されて、それが天命数霊術の正しさをアピールするような文面で語られているのですか?おかしいでしょう?例外とは「通例にあてはまらないこと・原則の適用を受けないこと」を指します。よって中村伸一医師は天命数霊術の判断ロジックでは判断できるわけないんです。例外なんだから。
おいらは何度もこれまでに書いてきましたが、まさに望月岳陽の「ご都合主義」ですね。天命数霊術の判断と違っている時は「例外」と言い、判断と合致している時は「ほらみろ天命数霊術はすごいだろ」という態度なのです。望月岳陽はこうして頻繁に天命数霊術の都合の良いように解釈した解説をブログに投稿して、なんとか自分の信者を増やそうと必死になっています。みっともないことです。これほど愚かしい岳陽の屁理屈に騙される頭の悪いノータリンは日本国にはいません!!あ、残念ながら全くいないわけじゃないけど…(苦笑)。
71歳にもなって何を言ってんだか…(笑)。
”成功しないのは「運気」がないから”というのは確かにその通りです。運がなければ成功しない。しかし”①「努力しなくても、成功する人」”なんて本当に存在するのでしょうか?望月岳陽は誰の事を「努力をせずに成功した」人だと言っているのですか?あなたの記憶の中に「努力をせずに成功した」人がいますか?現代でも歴史上の人物でも、努力せずに成功した人はいますか?
いるわけありません。努力なしに成功する人なんているわけないのです。一見努力とは無縁のスーパーヒーロー長嶋茂雄も、影では大変な努力をしていました。努力しなければ絶対に成功できないのです。
「努力しても成功するとは限らない。しかし、努力しなければ決して成功しない」これは至言です。努力しても成功するのが難しいこの世の中で、努力なしに成功する奴など存在しないのです。
望月岳陽はなんと書いていますか?岳陽は天命数霊術の5大条件が備わった姓名なら”努力なくして、成功する”と書いていますね。その例として”塾などどこにも行かず、成績はトップクラスを維持して、難関大学に合格できる”不思議な運勢”を手に入れることができる”と書いています。よく読んでください。おかしな話ですね。そうでしょう?岳陽は「塾などへ行く」ことが「努力」する事だと書いているのです。文意は「努力なくして成功する」「塾などどこにも行かず難関大学に合格する」です。これはとてつもなく変でしょう?難関大学に行く為に塾へ行くことが努力することなのですか?違いますよね?勉強することが努力なのです。猛勉強することが努力なのです。常識的に考えてみてください。勉強せず難関大学に入れると思いますか?入れるわけありません。トップクラスの大学へ進学する者は一日9時間勉強する者までいます。それほど猛勉強しなければトップクラスの大学へは行けません。つまり難関大学に合格できる者はちゃんと努力して勉強しているということです。塾に行くか行かないかなんて努力となんの関係もありません。従って望月岳陽が言う「努力なくして成功する」というのは嘘なのです。
この手の屁理屈には気をつけなければいけませんね。
昔、消化器の訪問販売で「消防署の方から来ました」と言って主婦を信用させ、安価な消化器を高値で売りつけていた詐欺があったのをご記憶の方もおられると思います。「消防署の方」を「消防署の関係者」だと受け手が錯覚するのを利用した巧みな詐欺でした。この望月岳陽の文章も同じです。「塾などどこにも行かず難関大学に合格する」というのを受け手が「努力なくして成功する」のだと錯覚するのを狙ったものだと予想できます。悪質な詐欺行為ですね。
このようにキチンと文意を正しく理解していれば望月岳陽の妄言なぞに踊らされることはありません。
望月岳陽は頻繁に「天命数霊術の5大条件を備えた姓名」ならば「難関大学」「東大・京大・阪大」合格すると記しています。
さて、これら難関大学に合格することが果たして「運が良い」のでしょうか?「頭が良い」という表現なら同意できます。しかし難関大学に合格することが「運が良い」とは、一体どんな基準で語られているのでしょうか?望月岳陽がかつて公務員だった事実を考え合わせると、一流大学を出て入れば高級官僚への道が開ける。高級官僚になれば出世レースに途中でリタイヤしたとしても左団扇な生活が約束されている。…と、こんなことを考えての発言ではないかと予想されます。これはまた随分フザケた話です。望月岳陽はブログで散々「政・財・官」の癒着を批判してきました。その舌の根が乾かぬ内にそのような官僚への道筋を「強運」と指し示しているのです。なんという恥知らずなジジイなのでしょう。
ハッキリさせておきましょう。一流大学に合格することと運の強さは関係ありません。頭の良さは関係あります(笑)。
当たり前すぎる事です。一流大学に合格することが運勢の強さを示すことと同意義なら、一流大学を出ている者は皆成功してハッピーになるという事ですね。事実はどうですか?一流大学出身者は皆成功していますか?違いますよね?事実は一流大学を出てホームレスやノイローゼになる輩までいます。以前に日本最大の難関東大理科三類を経て東大大学院に通う男が、結婚後自分が性的不能なのは妻のせいだと八つ当たりして、DV・ストーカー行為の末に警察に捕まりましたね。こんな馬鹿げた事件が起こる事実からしても難関大学への合格が強運の証明にならない事が十分わかるでしょう。
望月岳陽が度々繰り返して言っている「天命数霊術の名前=運が良い=難関大学合格」はデタラメです。なぜ岳陽はこんなデタラメを流布しているのでしょう。答えは簡単。岳陽は”親の情”を”商売に生かそう”としているからです。これから親になる夫婦は、生まれる我が子の学歴はいいに越した事はない、と心底思うものです。そこで岳陽のブログを見かけます。すると夫婦は「少しでも我が子に有利になるなら…」とフラフラと岳陽の罠にハマってしまうのです。岳陽のブログに書かれてある事柄が本当に正しいのかどうなのか、キチンと検証することもせずにフラフラと岳陽に命名の依頼をしてしまうのです。これが望月岳陽の狙いです。一度ハマって我が子に天命数霊術で命名したら最後です。親は自分の裁量で岳陽に命名を依頼してしまった為、その後おいらのような「天命数霊術=インチキ」という証明をいくら聞かされても、聞き入れる事ができなくなります。愛する我が子に対して「マイナス・リスクの高い天命数霊術の名前をつけてしまった」という事実を感情的に認めたくはないため、聞き入れる事ができなくなってしまうのです。実際には早めの治療が良いのでしょうけど、こうなってしまうとどうにもなりません。
出ましたね。望月岳陽お得意の「はんぱ知識」が。それもとんでもない大嘘知識ですね(笑)。
岳陽は「Drモルツ博士」と書いていますが、正式には「マクスウェル・マルツ」です。Maltzなのでモルツと読む人もいるようですが、正訳ではマルツと訳されます。「サイコ・サイバネティクス」はこちらの本ですね。元々はマサチューセッツ工科大学の教授のノーバート・ウィナー博士(Norbert Wiener)によって提唱された、「サイバネティクス理論」を形成外科医で臨床心理学者でもあったマクスウェル・マルツ博士が人間の目標達成の理論に応用したものです。
当時ベトナム戦争の復員兵が大量に社会復帰できなくなっている大きな社会問題がありました。外科手術によって不具合を修正した患者の治療前と治療後の心理的変化と社会復帰を観察していたマルツは、やがて「人間の内面に軌道修正しながら本来の自分(目的地)に近づく、あるいは取り戻す機能が備わっているのではないか」という理論を提唱し研究を重ねた結果、1960年に出版された本が「サイコ・サイバネティクス」です。
「サイコ・サイバネティクス」の考え方は平たく言えば、人は潜在意識に目標を刷り込んでおけばそれを意識するしないに関わらずその目標に向かって行動するようになる、ということです。潜在意識とは「自分で意識できない意識」のことです。意識できる意識は顕在意識と呼ばれます。潜在意識とは確かに願望達成やら成功法則やらのHOW TOには必ず出てくる言葉ですね。成功者は潜在意識の使い方に優れているとか言われますが、潜在意識とは意識できない意識なんだからどれだけ優れた使い方がされているかなんて、実際には証明できません。
望月岳陽は「サイコ・サイバネティクス」を”言い換えれば「努力なくして、”気と運勢”により成功を収める」方法”であり”「努力なくして、成功する。」方法と共通理論です”と言っています。
はあ???
デタラメもここまで来ると犯罪ですね。サイコ・サイバネティクスは”気”でもなければ”運勢”でもありません。寝ぼけているのでしょうか?変な言い換えはやめてもらいたい(笑)。”気”は顕在意識ですし”運勢”はサイコ・サイバネティクスにはまったく出てこない概念です。サイコ・サイバネティクスは”努力なくして、成功する”方法ではありません。実際にはかなり難しい潜在意識への目標刷り込みをして、意識しなくとも自然に目標に向かう行動をさせる、という方法です。その行動には努力も含まれています。ただ刷り込みが成功すれば、自然に当たり前のように努力するため、強く努力と感じないだけです。努力をしていないわけではありません。努力なくして成功するなどという都合の良い話は詐欺の中にしかないのです。望月岳陽の説明がまったくの大嘘だということがお分かり頂けたでしょう。
その後サイコ・サイバネティクス理論はサイコ・セラピーと融合して「自己啓発セミナー」になりました。これは今でも流行っていますね。何度か自己啓発セミナーから帰って来た奴を見た事がありますが、異常なほど元気になっていたりします。しかしその元気さもたいして長く続きません。必ず元にもどりますよね(笑)。自己啓発セミナーが対象者を「一時的に勘違い」させているのがよくわかります。
そしてその自己啓発プログラムと訪問販売が結びついて「マルチレベルマーケティング」が誕生しました。マルチレベルマーケティングとは無店舗訪販商法のひとつで、商品の愛用者(消費者)が同時に販売員も兼ねるディストリビュータ方式の販売システムの事です。だからマルチレベルマーケティングの勧誘では必ず「あなたの人生の目的はなんですか?」「今のあなたの毎日は、子供の頃に あなたが想像していた毎日ですか?」という語り口で始まるし、親類や友人など身近な人たちをその人のためと強く信じて勧誘する行動も自己啓発セミナーとそっくり同じなのです。俗に言う「マルチ商法」ですね。おいらも知人からやられた事がありますよ。鬱陶しいったらありゃしない(笑)。
天命数霊術もマルチ商法だった?!(爆笑)
怪しい商法の天命数霊術に騙される愚かでクズでドジでマヌケな日本国民なんておりません!!
…あ、ぜんぜんってわけじゃないけど…(笑)。
[第789回]より抜粋
『過疎の地域医療;万能の医師!』
という名医が、NHK番組「プロフェショナル」で紹介されました。
今までにも、医療現場の名医;”匠の手を持つ先生”「上山博康」医師(脳外科;北海道・旭川赤十字病院)や”平成の赤ひげ先生”「早川一光」医師(心療内科・京都・西陣在住)などがTVで紹介され、全国的に有名になりましたね。(参照;[第271回・第272回])
<中略>
この医師は、自治医大を卒業をして28歳で、この過疎地に赴任して以来、過疎の地域医療というのは、産婦人科を除く、すべての医療専科(内科・小児科・心療内科・外科など)に精通せねばなりませんので、多忙の時間をぬって、福井県立医大に研修にも出かけるとのことです。
でも、自治医大卒ですから、2年間の過疎地勤務の義務で良いのですが、同医師は、地域の”自宅療養”での訪問診療により、「信頼できる中村先生に看取られて死にたい!」という高齢者の要望と絆により、生涯、地域診療に貢献したいとの意思を固められています。
この医師は、実に地域の高齢者に対して”思いやり”と”研究心”がある方ですが、それは次のように、姓名からも伺えます。
「中村伸一」天格11・地格8・総格19
”中”の次の2文字が”左右別れ”で苦労性ですが、本来、総格19からの”頭脳明晰”であり、地格8の”思いやり”から、天格11の”計画性・企画力・研究心”があるという判断になりますが、「神亀の図;9・5・1」が逆さになっていますので、臨床医師として”若い頃からの苦労性”があるという運勢になり ます。
でも、このような若い医師が、地域医療に貢献したいという”万能の医師”は、全国でも貴重な方で、TVを観て感動しましたよ。
『過疎の地域医療;万能の医師!』
という名医が、NHK番組「プロフェショナル」で紹介されました。
今までにも、医療現場の名医;”匠の手を持つ先生”「上山博康」医師(脳外科;北海道・旭川赤十字病院)や”平成の赤ひげ先生”「早川一光」医師(心療内科・京都・西陣在住)などがTVで紹介され、全国的に有名になりましたね。(参照;[第271回・第272回])
<中略>
この医師は、自治医大を卒業をして28歳で、この過疎地に赴任して以来、過疎の地域医療というのは、産婦人科を除く、すべての医療専科(内科・小児科・心療内科・外科など)に精通せねばなりませんので、多忙の時間をぬって、福井県立医大に研修にも出かけるとのことです。
でも、自治医大卒ですから、2年間の過疎地勤務の義務で良いのですが、同医師は、地域の”自宅療養”での訪問診療により、「信頼できる中村先生に看取られて死にたい!」という高齢者の要望と絆により、生涯、地域診療に貢献したいとの意思を固められています。
この医師は、実に地域の高齢者に対して”思いやり”と”研究心”がある方ですが、それは次のように、姓名からも伺えます。
「中村伸一」天格11・地格8・総格19
”中”の次の2文字が”左右別れ”で苦労性ですが、本来、総格19からの”頭脳明晰”であり、地格8の”思いやり”から、天格11の”計画性・企画力・研究心”があるという判断になりますが、「神亀の図;9・5・1」が逆さになっていますので、臨床医師として”若い頃からの苦労性”があるという運勢になり ます。
でも、このような若い医師が、地域医療に貢献したいという”万能の医師”は、全国でも貴重な方で、TVを観て感動しましたよ。
既に何回も取り上げていますが、齢71歳にして望月岳陽の恥知らずさというのは、まったく持って度が過ぎています。恥知らずというか嘘つきです。つくづくこの老人は嘘つきですね。
なぜ嘘つきかって?だって「臨床医師」は「例外」だった筈でしょう?これは望月岳陽本人が何回もブログで書いていることですよ。嘘だと思うなら望月岳陽のブログを読んでみてください。あの老人は何度も「臨床医師は例外」と書いていますよ。臨床医師は例外であるはずなのになんで「中村伸一」医師が天命数霊術のロジックに従って判断されて、それが天命数霊術の正しさをアピールするような文面で語られているのですか?おかしいでしょう?例外とは「通例にあてはまらないこと・原則の適用を受けないこと」を指します。よって中村伸一医師は天命数霊術の判断ロジックでは判断できるわけないんです。例外なんだから。
おいらは何度もこれまでに書いてきましたが、まさに望月岳陽の「ご都合主義」ですね。天命数霊術の判断と違っている時は「例外」と言い、判断と合致している時は「ほらみろ天命数霊術はすごいだろ」という態度なのです。望月岳陽はこうして頻繁に天命数霊術の都合の良いように解釈した解説をブログに投稿して、なんとか自分の信者を増やそうと必死になっています。みっともないことです。これほど愚かしい岳陽の屁理屈に騙される頭の悪いノータリンは日本国にはいません!!あ、残念ながら全くいないわけじゃないけど…(苦笑)。
[第790回]より抜粋
でも、考えて見てください。
①「努力しなくても、成功する人」
②「努力して、成功する人」
③「努力しても、成功しない人」
④「努力もしないで、成功もしない人」
が、実際に世間にあるパターンですが、①と②で成功する人は、非常に少ないですね。要するに、歴史に残るような成功者は、国民の極く僅か!
でも、「成功しなくても、平凡でもいいや・・・」と諦めている国民は、99.9%でしょうね。
ところが、諦めるのは早いですよ。
この”努力”と”成功”との因果関係は、必ずしもないのです。
③と④の人が国民の殆どであり、成功しないのは「運気」がないからです。その中でも③の「努力しても、成功しない人」が、一番気の毒で惨めであり、実に”腹の立つ運命”ですね。
<中略>
ですから、「天命数霊術」の5大条件が備わった姓名ならば、「Dr.モルツ」の心理学的開運術と同様に、「努力なくして、成功する。」方法と共通理論です。例えば、お子さんの場合、塾などどこにも行かず、成績はトップクラスを維持して、難関大学に合格できる”不思議な運勢”を手に入れることができる訳です。”気”と”運勢”こそ、人生を換え、社会貢献できる”不思議な現象”なのですよ。
でも、考えて見てください。
①「努力しなくても、成功する人」
②「努力して、成功する人」
③「努力しても、成功しない人」
④「努力もしないで、成功もしない人」
が、実際に世間にあるパターンですが、①と②で成功する人は、非常に少ないですね。要するに、歴史に残るような成功者は、国民の極く僅か!
でも、「成功しなくても、平凡でもいいや・・・」と諦めている国民は、99.9%でしょうね。
ところが、諦めるのは早いですよ。
この”努力”と”成功”との因果関係は、必ずしもないのです。
③と④の人が国民の殆どであり、成功しないのは「運気」がないからです。その中でも③の「努力しても、成功しない人」が、一番気の毒で惨めであり、実に”腹の立つ運命”ですね。
<中略>
ですから、「天命数霊術」の5大条件が備わった姓名ならば、「Dr.モルツ」の心理学的開運術と同様に、「努力なくして、成功する。」方法と共通理論です。例えば、お子さんの場合、塾などどこにも行かず、成績はトップクラスを維持して、難関大学に合格できる”不思議な運勢”を手に入れることができる訳です。”気”と”運勢”こそ、人生を換え、社会貢献できる”不思議な現象”なのですよ。
71歳にもなって何を言ってんだか…(笑)。
”成功しないのは「運気」がないから”というのは確かにその通りです。運がなければ成功しない。しかし”①「努力しなくても、成功する人」”なんて本当に存在するのでしょうか?望月岳陽は誰の事を「努力をせずに成功した」人だと言っているのですか?あなたの記憶の中に「努力をせずに成功した」人がいますか?現代でも歴史上の人物でも、努力せずに成功した人はいますか?
いるわけありません。努力なしに成功する人なんているわけないのです。一見努力とは無縁のスーパーヒーロー長嶋茂雄も、影では大変な努力をしていました。努力しなければ絶対に成功できないのです。
「努力しても成功するとは限らない。しかし、努力しなければ決して成功しない」これは至言です。努力しても成功するのが難しいこの世の中で、努力なしに成功する奴など存在しないのです。
望月岳陽はなんと書いていますか?岳陽は天命数霊術の5大条件が備わった姓名なら”努力なくして、成功する”と書いていますね。その例として”塾などどこにも行かず、成績はトップクラスを維持して、難関大学に合格できる”不思議な運勢”を手に入れることができる”と書いています。よく読んでください。おかしな話ですね。そうでしょう?岳陽は「塾などへ行く」ことが「努力」する事だと書いているのです。文意は「努力なくして成功する」「塾などどこにも行かず難関大学に合格する」です。これはとてつもなく変でしょう?難関大学に行く為に塾へ行くことが努力することなのですか?違いますよね?勉強することが努力なのです。猛勉強することが努力なのです。常識的に考えてみてください。勉強せず難関大学に入れると思いますか?入れるわけありません。トップクラスの大学へ進学する者は一日9時間勉強する者までいます。それほど猛勉強しなければトップクラスの大学へは行けません。つまり難関大学に合格できる者はちゃんと努力して勉強しているということです。塾に行くか行かないかなんて努力となんの関係もありません。従って望月岳陽が言う「努力なくして成功する」というのは嘘なのです。
この手の屁理屈には気をつけなければいけませんね。
昔、消化器の訪問販売で「消防署の方から来ました」と言って主婦を信用させ、安価な消化器を高値で売りつけていた詐欺があったのをご記憶の方もおられると思います。「消防署の方」を「消防署の関係者」だと受け手が錯覚するのを利用した巧みな詐欺でした。この望月岳陽の文章も同じです。「塾などどこにも行かず難関大学に合格する」というのを受け手が「努力なくして成功する」のだと錯覚するのを狙ったものだと予想できます。悪質な詐欺行為ですね。
このようにキチンと文意を正しく理解していれば望月岳陽の妄言なぞに踊らされることはありません。
必読!若い命を”強運の名”で”事件死”から守ろう!
[第785回]より抜粋
<中略>
「友」を使用することは、”友人”に運気を与えるので、自分の運気は下降して行きます。そして、「花」は”満開の花”であり、後は”散る”だけの字体です。”はな・か”の呼び名に適合するのは、「華」(これから咲く蕾がある花)なのです。中国では人名には「花」を使用しません。
このような判断から、お気の毒に”若くして花が散った”のですよ。
「天命数霊術」に出会えなかったのも、”運気”がなかったですね。同じ20〜21歳の青年、私が命名したお子さん、東大・京大・阪大などで、記憶があるだけでも、5〜6人健康で在学中です。
姓名一つで、「運気の格差」が観られるのは、不思議だとは思いませんか?
[第785回]より抜粋
<中略>
「友」を使用することは、”友人”に運気を与えるので、自分の運気は下降して行きます。そして、「花」は”満開の花”であり、後は”散る”だけの字体です。”はな・か”の呼び名に適合するのは、「華」(これから咲く蕾がある花)なのです。中国では人名には「花」を使用しません。
このような判断から、お気の毒に”若くして花が散った”のですよ。
「天命数霊術」に出会えなかったのも、”運気”がなかったですね。同じ20〜21歳の青年、私が命名したお子さん、東大・京大・阪大などで、記憶があるだけでも、5〜6人健康で在学中です。
姓名一つで、「運気の格差」が観られるのは、不思議だとは思いませんか?
望月岳陽は頻繁に「天命数霊術の5大条件を備えた姓名」ならば「難関大学」「東大・京大・阪大」合格すると記しています。
さて、これら難関大学に合格することが果たして「運が良い」のでしょうか?「頭が良い」という表現なら同意できます。しかし難関大学に合格することが「運が良い」とは、一体どんな基準で語られているのでしょうか?望月岳陽がかつて公務員だった事実を考え合わせると、一流大学を出て入れば高級官僚への道が開ける。高級官僚になれば出世レースに途中でリタイヤしたとしても左団扇な生活が約束されている。…と、こんなことを考えての発言ではないかと予想されます。これはまた随分フザケた話です。望月岳陽はブログで散々「政・財・官」の癒着を批判してきました。その舌の根が乾かぬ内にそのような官僚への道筋を「強運」と指し示しているのです。なんという恥知らずなジジイなのでしょう。
ハッキリさせておきましょう。一流大学に合格することと運の強さは関係ありません。頭の良さは関係あります(笑)。
当たり前すぎる事です。一流大学に合格することが運勢の強さを示すことと同意義なら、一流大学を出ている者は皆成功してハッピーになるという事ですね。事実はどうですか?一流大学出身者は皆成功していますか?違いますよね?事実は一流大学を出てホームレスやノイローゼになる輩までいます。以前に日本最大の難関東大理科三類を経て東大大学院に通う男が、結婚後自分が性的不能なのは妻のせいだと八つ当たりして、DV・ストーカー行為の末に警察に捕まりましたね。こんな馬鹿げた事件が起こる事実からしても難関大学への合格が強運の証明にならない事が十分わかるでしょう。
望月岳陽が度々繰り返して言っている「天命数霊術の名前=運が良い=難関大学合格」はデタラメです。なぜ岳陽はこんなデタラメを流布しているのでしょう。答えは簡単。岳陽は”親の情”を”商売に生かそう”としているからです。これから親になる夫婦は、生まれる我が子の学歴はいいに越した事はない、と心底思うものです。そこで岳陽のブログを見かけます。すると夫婦は「少しでも我が子に有利になるなら…」とフラフラと岳陽の罠にハマってしまうのです。岳陽のブログに書かれてある事柄が本当に正しいのかどうなのか、キチンと検証することもせずにフラフラと岳陽に命名の依頼をしてしまうのです。これが望月岳陽の狙いです。一度ハマって我が子に天命数霊術で命名したら最後です。親は自分の裁量で岳陽に命名を依頼してしまった為、その後おいらのような「天命数霊術=インチキ」という証明をいくら聞かされても、聞き入れる事ができなくなります。愛する我が子に対して「マイナス・リスクの高い天命数霊術の名前をつけてしまった」という事実を感情的に認めたくはないため、聞き入れる事ができなくなってしまうのです。実際には早めの治療が良いのでしょうけど、こうなってしまうとどうにもなりません。
[第790回]より抜粋
さて、1950年代に、当時、世界的に有名だった形成外科医「Drモルツ博士」は、これらの違いは、“ある事”から来ているという発見をしました。 その発見は、心理学史上最大の発見と呼ばれています。
「欲しいものを、何でも手に入れてしまう人」、「仕事をきちんとやり遂げる人」、「目標をどんどん達成して、常に前進している人」と、そうでない人の違いは、Drモルツ博士が解明して、「サイコ・サイバネティクス」という著書に記載されているそうです。
全世界で3500人の体験を、科学的に証明した「メンタルテクノロジー」で”無理なく成功する方法”だそうです。
言い換えれば、「努力なくして、”気と運勢”により成功を収める」方法であり、フランクリンルーズベルト元米国大統領、エレノアルーズベルト夫人、画家サルバドーレ・ダリジムブラウン(偉大なNFLランニングバック) メジャーリーグ選手、NBAのスーパースター選手など多数 。
また、数え切れないほどの億万長者、企業家、セールスマンがキャリアを伸ばすのに、Drモルツに影響を受けているそうです。
さて、私の「天命数霊術」による成功方法も、共通したところがあります。そんなに努力をしなくても、『成功したいと言う”気”を持てば、向うからやって来る”運勢”により成功を収める。』のです。
その”気”を高めるため、「昇運色紙額」の”和気吉祥 魚龍変化”であり、その運勢は「神亀の図」の”9・5・1”のパワーが主なのですよ。
ですから、「天命数霊術」の5大条件が備わった姓名ならば、「Dr.モルツ」の心理学的開運術と同様に、「努力なくして、成功する。」方法と共通理論です。
さて、1950年代に、当時、世界的に有名だった形成外科医「Drモルツ博士」は、これらの違いは、“ある事”から来ているという発見をしました。 その発見は、心理学史上最大の発見と呼ばれています。
「欲しいものを、何でも手に入れてしまう人」、「仕事をきちんとやり遂げる人」、「目標をどんどん達成して、常に前進している人」と、そうでない人の違いは、Drモルツ博士が解明して、「サイコ・サイバネティクス」という著書に記載されているそうです。
全世界で3500人の体験を、科学的に証明した「メンタルテクノロジー」で”無理なく成功する方法”だそうです。
言い換えれば、「努力なくして、”気と運勢”により成功を収める」方法であり、フランクリンルーズベルト元米国大統領、エレノアルーズベルト夫人、画家サルバドーレ・ダリジムブラウン(偉大なNFLランニングバック) メジャーリーグ選手、NBAのスーパースター選手など多数 。
また、数え切れないほどの億万長者、企業家、セールスマンがキャリアを伸ばすのに、Drモルツに影響を受けているそうです。
さて、私の「天命数霊術」による成功方法も、共通したところがあります。そんなに努力をしなくても、『成功したいと言う”気”を持てば、向うからやって来る”運勢”により成功を収める。』のです。
その”気”を高めるため、「昇運色紙額」の”和気吉祥 魚龍変化”であり、その運勢は「神亀の図」の”9・5・1”のパワーが主なのですよ。
ですから、「天命数霊術」の5大条件が備わった姓名ならば、「Dr.モルツ」の心理学的開運術と同様に、「努力なくして、成功する。」方法と共通理論です。
出ましたね。望月岳陽お得意の「はんぱ知識」が。それもとんでもない大嘘知識ですね(笑)。
岳陽は「Drモルツ博士」と書いていますが、正式には「マクスウェル・マルツ」です。Maltzなのでモルツと読む人もいるようですが、正訳ではマルツと訳されます。「サイコ・サイバネティクス」はこちらの本ですね。元々はマサチューセッツ工科大学の教授のノーバート・ウィナー博士(Norbert Wiener)によって提唱された、「サイバネティクス理論」を形成外科医で臨床心理学者でもあったマクスウェル・マルツ博士が人間の目標達成の理論に応用したものです。
当時ベトナム戦争の復員兵が大量に社会復帰できなくなっている大きな社会問題がありました。外科手術によって不具合を修正した患者の治療前と治療後の心理的変化と社会復帰を観察していたマルツは、やがて「人間の内面に軌道修正しながら本来の自分(目的地)に近づく、あるいは取り戻す機能が備わっているのではないか」という理論を提唱し研究を重ねた結果、1960年に出版された本が「サイコ・サイバネティクス」です。
「サイコ・サイバネティクス」の考え方は平たく言えば、人は潜在意識に目標を刷り込んでおけばそれを意識するしないに関わらずその目標に向かって行動するようになる、ということです。潜在意識とは「自分で意識できない意識」のことです。意識できる意識は顕在意識と呼ばれます。潜在意識とは確かに願望達成やら成功法則やらのHOW TOには必ず出てくる言葉ですね。成功者は潜在意識の使い方に優れているとか言われますが、潜在意識とは意識できない意識なんだからどれだけ優れた使い方がされているかなんて、実際には証明できません。
望月岳陽は「サイコ・サイバネティクス」を”言い換えれば「努力なくして、”気と運勢”により成功を収める」方法”であり”「努力なくして、成功する。」方法と共通理論です”と言っています。
はあ???
デタラメもここまで来ると犯罪ですね。サイコ・サイバネティクスは”気”でもなければ”運勢”でもありません。寝ぼけているのでしょうか?変な言い換えはやめてもらいたい(笑)。”気”は顕在意識ですし”運勢”はサイコ・サイバネティクスにはまったく出てこない概念です。サイコ・サイバネティクスは”努力なくして、成功する”方法ではありません。実際にはかなり難しい潜在意識への目標刷り込みをして、意識しなくとも自然に目標に向かう行動をさせる、という方法です。その行動には努力も含まれています。ただ刷り込みが成功すれば、自然に当たり前のように努力するため、強く努力と感じないだけです。努力をしていないわけではありません。努力なくして成功するなどという都合の良い話は詐欺の中にしかないのです。望月岳陽の説明がまったくの大嘘だということがお分かり頂けたでしょう。
その後サイコ・サイバネティクス理論はサイコ・セラピーと融合して「自己啓発セミナー」になりました。これは今でも流行っていますね。何度か自己啓発セミナーから帰って来た奴を見た事がありますが、異常なほど元気になっていたりします。しかしその元気さもたいして長く続きません。必ず元にもどりますよね(笑)。自己啓発セミナーが対象者を「一時的に勘違い」させているのがよくわかります。
そしてその自己啓発プログラムと訪問販売が結びついて「マルチレベルマーケティング」が誕生しました。マルチレベルマーケティングとは無店舗訪販商法のひとつで、商品の愛用者(消費者)が同時に販売員も兼ねるディストリビュータ方式の販売システムの事です。だからマルチレベルマーケティングの勧誘では必ず「あなたの人生の目的はなんですか?」「今のあなたの毎日は、子供の頃に あなたが想像していた毎日ですか?」という語り口で始まるし、親類や友人など身近な人たちをその人のためと強く信じて勧誘する行動も自己啓発セミナーとそっくり同じなのです。俗に言う「マルチ商法」ですね。おいらも知人からやられた事がありますよ。鬱陶しいったらありゃしない(笑)。
天命数霊術もマルチ商法だった?!(爆笑)
怪しい商法の天命数霊術に騙される愚かでクズでドジでマヌケな日本国民なんておりません!!
…あ、ぜんぜんってわけじゃないけど…(笑)。
2009年11月1日日曜日
天命数霊術?前回の続き
前回「最良の運勢」について書きました。読んでいない方は前回を先に読んでください。今回はその続きです。
おいらは随分長いこと”運”について研究してきました。こちらに記した通り望月岳陽はおいらのことを青年だと思っているようですが、おいらは青年などではありません。おいらを青年などと本質を見抜けない望月岳陽らしい判断ですね。おそらく文章の上面だけで判断したのでしょう。研究の過程で姓名判断もひと通り調査しました。そうした調査過程を経ていくつかわかった事があります。
最良の運勢の持ち主とは、言ってみればご都合主義のマンガの主人公のような存在です。どんな困難が降ってこようともどんな最悪の場面にぶつかろうともうまく回避できてしまう存在です。いや、そもそも困難や最悪が近寄ってこないかも知れません。仮に近寄って来たとしても、最良の運勢の持ち主は、それが困難や最悪であると認識できないでしょう。なぜなら最良の運勢の持ち主は、どんな状況・状態も良い方向へと振り替えてしまうからです。そういう運を持っているからこそ最良の運勢なのです。そして最後には必ず勝利とハッピーが約束されているのです。
しかし、マンガの主人公ならともかく、現実としてこのような人物が存在するのでしょうか?
絶対に存在しません。
あらゆる困難や最悪の場面を全て良い方向へ振り替えできる人間など存在しないのです。これはつまり「最良の運勢」を持った人間はいない、と言うことなのです。考えてもみてください。人間に起こりうる困難や最悪の事態は数限りなくあります。それを全て良い方向へ振り替えられる人間を想像できますか?あなたの記憶の中にそれほどの最良の運勢の持ち主として思い当たる人物が浮かびますか?それほどの運勢ならば冗談ではなく世界制服ができてしまうでしょう(笑)。それほどの強運の持ち主は歴史が記録されるようになってから現在まで存在したことがありません。
そうは言うものの現実として「運の強弱」は確かに存在しています。毎日定期的に乗る電車にその日乗り遅れてしまった、しかし乗るはずだった電車は事故で多くの怪我人が出た。交差点で徐行していたら目の前の車の横っ腹にダンプが突っ込んだ。などというケースは実在します。「運の強弱」の違いとしか解釈できないケースが沢山存在するのです。従って名前になんらかの効果があるとするならば「Best」な名前を作る事は不可能だけど「Better」な名前を作る事は可能なのかも知れない、と仮説を立てる事ができます。
ここであらためて認識しておきたいことは、天命数霊術および熊﨑式姓名判断がそれらの対象にはならないということです。天命数霊術および熊﨑式姓名判断は共に、理論上「最高の名前」を作ることができます。ところが、最高の名前で作られているにも関わらず最悪の結果になっている事実がいくらでも存在します。おまけに両占いとも「家族の影響」を上げています。「最高の名前」で作ったにも関わらず「家族の影響」を受けるのは前回のPOSTで書いた通り矛盾しているのです。両占いがどれほど「正しいように見える」場合があっても、それは偶然でしかありません。偶然は存在します。全ての偶然は可能性の振り子の軌道上の点のひとつです。おいらのブログに前にも書きましたが、真理はブレません。真理はそれ以上分解できない内容ですからブレようがないのです。ブレてしまうのは真理ではありません。つまり天命数霊術および熊﨑式姓名判断は「真理の方法ではない」「正しい方法ではない」のです。正しいの方法は別にあると考えるべきでしょう。
おいらは随分長いこと”運”について研究してきました。こちらに記した通り望月岳陽はおいらのことを青年だと思っているようですが、おいらは青年などではありません。おいらを青年などと本質を見抜けない望月岳陽らしい判断ですね。おそらく文章の上面だけで判断したのでしょう。研究の過程で姓名判断もひと通り調査しました。そうした調査過程を経ていくつかわかった事があります。
最良の運勢の持ち主とは、言ってみればご都合主義のマンガの主人公のような存在です。どんな困難が降ってこようともどんな最悪の場面にぶつかろうともうまく回避できてしまう存在です。いや、そもそも困難や最悪が近寄ってこないかも知れません。仮に近寄って来たとしても、最良の運勢の持ち主は、それが困難や最悪であると認識できないでしょう。なぜなら最良の運勢の持ち主は、どんな状況・状態も良い方向へと振り替えてしまうからです。そういう運を持っているからこそ最良の運勢なのです。そして最後には必ず勝利とハッピーが約束されているのです。
しかし、マンガの主人公ならともかく、現実としてこのような人物が存在するのでしょうか?
絶対に存在しません。
あらゆる困難や最悪の場面を全て良い方向へ振り替えできる人間など存在しないのです。これはつまり「最良の運勢」を持った人間はいない、と言うことなのです。考えてもみてください。人間に起こりうる困難や最悪の事態は数限りなくあります。それを全て良い方向へ振り替えられる人間を想像できますか?あなたの記憶の中にそれほどの最良の運勢の持ち主として思い当たる人物が浮かびますか?それほどの運勢ならば冗談ではなく世界制服ができてしまうでしょう(笑)。それほどの強運の持ち主は歴史が記録されるようになってから現在まで存在したことがありません。
そうは言うものの現実として「運の強弱」は確かに存在しています。毎日定期的に乗る電車にその日乗り遅れてしまった、しかし乗るはずだった電車は事故で多くの怪我人が出た。交差点で徐行していたら目の前の車の横っ腹にダンプが突っ込んだ。などというケースは実在します。「運の強弱」の違いとしか解釈できないケースが沢山存在するのです。従って名前になんらかの効果があるとするならば「Best」な名前を作る事は不可能だけど「Better」な名前を作る事は可能なのかも知れない、と仮説を立てる事ができます。
ここであらためて認識しておきたいことは、天命数霊術および熊﨑式姓名判断がそれらの対象にはならないということです。天命数霊術および熊﨑式姓名判断は共に、理論上「最高の名前」を作ることができます。ところが、最高の名前で作られているにも関わらず最悪の結果になっている事実がいくらでも存在します。おまけに両占いとも「家族の影響」を上げています。「最高の名前」で作ったにも関わらず「家族の影響」を受けるのは前回のPOSTで書いた通り矛盾しているのです。両占いがどれほど「正しいように見える」場合があっても、それは偶然でしかありません。偶然は存在します。全ての偶然は可能性の振り子の軌道上の点のひとつです。おいらのブログに前にも書きましたが、真理はブレません。真理はそれ以上分解できない内容ですからブレようがないのです。ブレてしまうのは真理ではありません。つまり天命数霊術および熊﨑式姓名判断は「真理の方法ではない」「正しい方法ではない」のです。正しいの方法は別にあると考えるべきでしょう。
2009年10月26日月曜日
天命数霊術?運血がでたの!
望月岳陽の天命数霊術には理屈に合わないことが多くありますが、おいらが初期の頃から最も胡散臭いと疑問に感じていたいことを今更ながら検証してみます。
天命数霊術には三つの例外があることは、既においらのブログでも何度も書きました。
例外をもう一度確認してみましょう。
姓名判断の当たり外れが職業によって変わるなんてことは絶対にありません。実にバカバカしい戯言です。霊障もありません。前回のPOSTを参照してください。
注目すべきは「夫婦・親子・兄弟の姓名から、吉凶の影響がある場合、例外となる」です。これは平たく言えば「家族が天命数霊術的に悪い格数」である場合のことです。つまり、天命数霊術の5つの条件をすべて兼ね備えている”完全な名前”を持っていても、家族が天命数霊術的に悪い名前を持っている場合”完全な名前”の効力が出ずに例外となると言うことですね。
この「家族が悪い格数の場合」というケースは熊﨑式姓名判断の一部の人も言っている事なのです(熊﨑式全員が言っているわけではありません)。熊﨑式で見て完全に良い名前という場合でも犯罪、事故等の不幸な結果により人生の終焉を迎えるという事実があります。こういう時、熊﨑式の一部の姓名判断師は実際の親族の名前を判断して「家族の格数が(熊﨑式的に)悪いのが原因」と言って熊﨑式姓名判断は間違っていないと主張しています。
冷静に考えて見ましょう。
天命数霊術と熊﨑式判断の判断方法の違いは関係ありません。両占いの主張が重要です。天命数霊術にせよ熊﨑式姓名判断にせよ「完全に良い名前」で命名されているにも関わらず「家族に悪い格数があるため」完全に良い名前の効力は出ずに不幸な結果となる、と言っているのです。天命数霊術にせよ熊﨑式姓名判断にせよどちらの場合でも「完全に良い名前」とは「最良運勢の名前」であると解釈して間違いありませんよね?どちらの姓名判断も「最良運勢」の為に命名・改名を行っているという解釈で間違いないはずです。
ここでおいらは非常に疑問を感じるのです。
「最良の運勢」の名前を持っている者が、なぜ悪い名前の影響を受けてしまうのでしょう?おかしいでしょう?改名した者ならともかく、最初から「完全に良い名前」で命名されている者は生まれてからずっと「最良の運勢」で過ごしているわけですよねえ?そうするとその者につけられた名前の「最良の運勢」は回りの「名前の悪い家族も含めた上での最良の運勢」であるはずなのです。そうでしょう?だってその者は完全に良い名前で最良の運勢が約束されているのだから、置かれている状況すら最良であるはずなのです。そうでなければ「最良の運勢」と矛盾してしまうでしょう?
卵が先か鶏が先かの話と似ていますが、厳密には違います。最良の運勢とは置かれている状況に関係ないのです。なぜなら最良ゆえに本人はまったく意識しなくとも、如何なる状況であっても最も良い方向へと勝手に振り替えてしまうからです。そしてその知らない内に振り替えてしまう運の強さこそが「最良の運勢」なのです。
したがって「格数の悪い家族がいる」という理由で姓名判断が当たらないと言っている天命数霊術及び熊﨑式(一部の者)はまったくのデタラメなのです。嘘っぱちなのです。インチキなのです。「格数の悪い家族がいる」事は最良の運勢を持っている者にとってマイナス要素にはならないのです。そして最良の運なのだから格数の悪い家族の運に負けるはずがないのです。負けたら最良の運ではない事になるでしょう?むしろその家族の悪い運をうまく生かすような振り替えができてしまうのです。まるで手品を見るがごとくでしょう。真の最良の運勢を持つ者とはそういうものなのです。本物の最良の運勢とはこれほどの力を持ってこそ最良の運勢と呼ぶに相応しいのです。
これでわかったでしょう?
熊﨑式(一部の者)や天命数霊術で名づけた「完全に良い名前」は「最良の運勢」を持っていないのです。説明したように最良の運勢を持っているならば「格数の悪い家族の運」なんぞの影響はまったく受けないのです。ところが天命数霊術は例外のひとつにこの条件を掲げています。このことから天命数霊術的に”完全に良い名前”は”最良の運勢”を持っていないことを自ら告白しているようなものなのです。そうでしょう?家族がどれほどの格数を持っていようと最良の運勢の持ち主はてんでへっちゃらなのです。問題ないのです。むしろ格数の悪い家族の方にこそ最良の運勢の持ち主の運から影響があると考えるべきが当然でしょう。つまり、真の最良の運勢を持つ家族が居ればその他の家族の運がどれほど悪くてもその悪さは軽減される、ということなのです。
望月岳陽には霊能者の自慢の娘がいますが、この娘は「天命数霊術なんかノータッチ」なんだそうです。つまり天命数霊術による判断を行っていないのはもちろん、娘の名前も天命数霊術的に良い名前に改名していない可能性が高いと思われます。なぜなら望月岳陽の性格を考えれば、娘が天命数霊術的に良い名前を付けていればブログで自慢気に公表するはずです。ところがブログに娘の名前は一度も出てきたことはありません。娘はどうでしょうか?通常、一番身近な父親が提唱している説を信じているのなら、いの一番に自分の名前を天命数霊術的に良い名前に改名するでしょう。従ってこの娘自身が「天命数霊術」を信じていないと予想するのが妥当であると思われます。それが「天命数霊術なんかノータッチ」によく現れています。おいらの予想が正解だとしたら、望月岳陽は家族にも信じてもらえないような”天命数霊術”をブログ読者に説いている事になりますね。
今シーズン、楽天は日本ハムに敗れて日本シリーズ進出を逃しました。おまけにクライマックスシリーズ前に野村監督は退任決定で戦意喪失させられました。これも「背番号19」の運気の効用でしょうかね?(笑)
天命数霊術には三つの例外があることは、既においらのブログでも何度も書きました。
例外をもう一度確認してみましょう。
[第50回]より抜粋
①霊的な作用で、特定の職業(医師・弁護士)は、運気の良い姓名は少なく、例外となる
②夫婦・親子・兄弟の姓名から、吉凶の影響がある場合、例外となる。
③先祖の守護霊・他人からの霊障を受け易い人は、例外となる。
①霊的な作用で、特定の職業(医師・弁護士)は、運気の良い姓名は少なく、例外となる
②夫婦・親子・兄弟の姓名から、吉凶の影響がある場合、例外となる。
③先祖の守護霊・他人からの霊障を受け易い人は、例外となる。
姓名判断の当たり外れが職業によって変わるなんてことは絶対にありません。実にバカバカしい戯言です。霊障もありません。前回のPOSTを参照してください。
注目すべきは「夫婦・親子・兄弟の姓名から、吉凶の影響がある場合、例外となる」です。これは平たく言えば「家族が天命数霊術的に悪い格数」である場合のことです。つまり、天命数霊術の5つの条件をすべて兼ね備えている”完全な名前”を持っていても、家族が天命数霊術的に悪い名前を持っている場合”完全な名前”の効力が出ずに例外となると言うことですね。
この「家族が悪い格数の場合」というケースは熊﨑式姓名判断の一部の人も言っている事なのです(熊﨑式全員が言っているわけではありません)。熊﨑式で見て完全に良い名前という場合でも犯罪、事故等の不幸な結果により人生の終焉を迎えるという事実があります。こういう時、熊﨑式の一部の姓名判断師は実際の親族の名前を判断して「家族の格数が(熊﨑式的に)悪いのが原因」と言って熊﨑式姓名判断は間違っていないと主張しています。
冷静に考えて見ましょう。
天命数霊術と熊﨑式判断の判断方法の違いは関係ありません。両占いの主張が重要です。天命数霊術にせよ熊﨑式姓名判断にせよ「完全に良い名前」で命名されているにも関わらず「家族に悪い格数があるため」完全に良い名前の効力は出ずに不幸な結果となる、と言っているのです。天命数霊術にせよ熊﨑式姓名判断にせよどちらの場合でも「完全に良い名前」とは「最良運勢の名前」であると解釈して間違いありませんよね?どちらの姓名判断も「最良運勢」の為に命名・改名を行っているという解釈で間違いないはずです。
ここでおいらは非常に疑問を感じるのです。
「最良の運勢」の名前を持っている者が、なぜ悪い名前の影響を受けてしまうのでしょう?おかしいでしょう?改名した者ならともかく、最初から「完全に良い名前」で命名されている者は生まれてからずっと「最良の運勢」で過ごしているわけですよねえ?そうするとその者につけられた名前の「最良の運勢」は回りの「名前の悪い家族も含めた上での最良の運勢」であるはずなのです。そうでしょう?だってその者は完全に良い名前で最良の運勢が約束されているのだから、置かれている状況すら最良であるはずなのです。そうでなければ「最良の運勢」と矛盾してしまうでしょう?
卵が先か鶏が先かの話と似ていますが、厳密には違います。最良の運勢とは置かれている状況に関係ないのです。なぜなら最良ゆえに本人はまったく意識しなくとも、如何なる状況であっても最も良い方向へと勝手に振り替えてしまうからです。そしてその知らない内に振り替えてしまう運の強さこそが「最良の運勢」なのです。
したがって「格数の悪い家族がいる」という理由で姓名判断が当たらないと言っている天命数霊術及び熊﨑式(一部の者)はまったくのデタラメなのです。嘘っぱちなのです。インチキなのです。「格数の悪い家族がいる」事は最良の運勢を持っている者にとってマイナス要素にはならないのです。そして最良の運なのだから格数の悪い家族の運に負けるはずがないのです。負けたら最良の運ではない事になるでしょう?むしろその家族の悪い運をうまく生かすような振り替えができてしまうのです。まるで手品を見るがごとくでしょう。真の最良の運勢を持つ者とはそういうものなのです。本物の最良の運勢とはこれほどの力を持ってこそ最良の運勢と呼ぶに相応しいのです。
これでわかったでしょう?
熊﨑式(一部の者)や天命数霊術で名づけた「完全に良い名前」は「最良の運勢」を持っていないのです。説明したように最良の運勢を持っているならば「格数の悪い家族の運」なんぞの影響はまったく受けないのです。ところが天命数霊術は例外のひとつにこの条件を掲げています。このことから天命数霊術的に”完全に良い名前”は”最良の運勢”を持っていないことを自ら告白しているようなものなのです。そうでしょう?家族がどれほどの格数を持っていようと最良の運勢の持ち主はてんでへっちゃらなのです。問題ないのです。むしろ格数の悪い家族の方にこそ最良の運勢の持ち主の運から影響があると考えるべきが当然でしょう。つまり、真の最良の運勢を持つ家族が居ればその他の家族の運がどれほど悪くてもその悪さは軽減される、ということなのです。
望月岳陽には霊能者の自慢の娘がいますが、この娘は「天命数霊術なんかノータッチ」なんだそうです。つまり天命数霊術による判断を行っていないのはもちろん、娘の名前も天命数霊術的に良い名前に改名していない可能性が高いと思われます。なぜなら望月岳陽の性格を考えれば、娘が天命数霊術的に良い名前を付けていればブログで自慢気に公表するはずです。ところがブログに娘の名前は一度も出てきたことはありません。娘はどうでしょうか?通常、一番身近な父親が提唱している説を信じているのなら、いの一番に自分の名前を天命数霊術的に良い名前に改名するでしょう。従ってこの娘自身が「天命数霊術」を信じていないと予想するのが妥当であると思われます。それが「天命数霊術なんかノータッチ」によく現れています。おいらの予想が正解だとしたら、望月岳陽は家族にも信じてもらえないような”天命数霊術”をブログ読者に説いている事になりますね。
今シーズン、楽天は日本ハムに敗れて日本シリーズ進出を逃しました。おまけにクライマックスシリーズ前に野村監督は退任決定で戦意喪失させられました。これも「背番号19」の運気の効用でしょうかね?(笑)
2009年10月20日火曜日
天命数霊術?運ころんだの!
前回の選挙でいきなり全国区に候補者を立てて話題になった「幸福実現党」は誰もがご存知の事と思います。その支援団体、というかそのものである「幸福の科学」という気持ち悪い教団も、今では知っている方が多いのではないでしょうか。
幸福の科学は大川隆法を信仰の対象にしています。大川自身は自らを「釈尊(お釈迦様)の再誕であり、救世主である」と公言しています。大川は昭和56年3月に突然「神がかった」そうで、日興上人からのメッセージを受け、無意識に手が動いて文字を書く「自動書記」現象が起こり、この啓示によって「人類救済の大いなる使命を自覚した」のだそうです。そして昭和60年10月釈尊の啓示と称する教典を発刊し「幸福の科学」を設立しました。教団名は隆法が受けたという日蓮聖人の「これは宗教ではなく、哲学であり、幸福の科学なのだ」とかいう霊言に基づいているそうです。教団名に「科学」とついていますが、内実にまったく科学的なところがありません。
教団名の由来をもう一度確認します。「これは宗教ではなく、哲学であり、幸福の科学なのだ」
望月岳陽の天命数霊術は「この説は占いや宗教ではありません。人文科学的な根拠にもとづいたもの」
いかがです?とっても似ているでしょう?
隆法はたかが新興宗教の分際で「哲学」だの「科学」などとフザケた事を言って大衆を惑わせています。岳陽もたかが占いの分際で「人文科学的な根拠にもとづいたもの」などとワザと大衆が科学だと錯覚を起こすように言っています。そしてどちらも共通しているのは「科学的に実証されていない」ということです。どちらも本人がそう言っているに過ぎないのであり、実際に証明されたことは一度もありません。このことから認知しなければならないことは、望月岳陽の天命数霊術を信じるという行為は幸福の科学を信じるという行為と「行動のレベル」においてはまったく違いはない、ということです。「天命数霊術」にハマっているという行為は「幸福の科学にハマっている」というのとまったく同じである、と言う事を正しく理解する必要があるでしょう。つまり天命数霊術を信じるということはそのくらい異常な事であると言う事です。ハマっている人は自分が異常とは思わないところも似ていますね。
これを読んでいるあなたがもし幸福の科学の正会員で天命数霊術にハマっているなら、もはや救いようがありません。諦めてください(笑)。
天国にいる霊は電磁波を嫌うのですか?霊の気持ちが分かるのですか?へええ。
ところで天国ってどこにあるんですか?住所教えてもらえませんか?(笑)
望月岳陽は書いてますね。「霊能力(霊視)は、修行では付かないのですよ。霊能力はある日、突然のこと身に付く能力なのです。」だとしたら、大川隆法も本物の霊能力者にと言う事になりますね。愚かしい事です。
それにしても70代の爺さんが「霊は電磁波が嫌いだ」とか「天国に暮らしているのに」とか、よく書くことができますよねえ。一体どんな生き方してきたら、そんなことを恥ずかしげもなく書けるようになるのでしょう。
望月岳陽は自分の娘が”本物の霊能力者”であるとたびたびブログに投稿しています。天命数霊術の例外のひとつである「霊障」もこの娘を利用したものでしょう。岳陽の投稿を読んでいると感じますが、自分の娘が”本物の霊能力者”であることが自慢でもあるようです。
さて、あなた自身は霊が見えますか?また、あなたの回りの親族、友人、知人を含めて「霊が見える」人は何人いますか?
おいら自身は無論霊なんぞ見えません。試しにおいらの回り30人の親族、友人、知人に「霊の見える奴を知っているか」と聞いて回ったら、誰も「そんな知り合いはいない」との返答でした。この30人にひとりあたり30人の友人・知人がいると仮定した場合、およそ900人は「霊が見えない」という事になりますね。あなたもぜひ試してみてください。霊が見える奴なんていないのが普通です。稀に「見える」なんて言うおかしな奴が一人くらいはいるかと思いますが、圧倒的にほとんどの人は「見えない」でしょう。まともな通常の人に霊は見えないものなのです。そうですよね?圧倒的な数の人々が霊なんて見えないのですから。通常普通の人に霊は見えません。
よって「霊が見える人」は「異常」なのです。通常ではないという意味で異常なのです。普通ではないのです。まともな普通の人ではないから霊が見えるのです。そうでしょう?圧倒的多数の人に見えないものが、その人には見えるのだから異常としか言いようがないでしょう。単なる異常者でしかない霊能者は偉くもなんともありません。本当かどうかわかりませんが、変な物が見えたり聞こえたり感じれたりするだけの存在です。
ここで疑問が起こります。なぜ通常ではない”異常者”の言うことを”通常の人”が受け入れなければならないのでしょう?異常者の言う事を通常の人は見たり感じたりすることができません。異常者の言う事を裏付けることはできないのです。嘘をつかれていてもわかりません。通常の人は異常者の言う事を見たり感じたりすることができないために「もしかしたらそうなのかも…」という考えに囚われがちです。そしてそういう浮ついた心持ちにつけ込まれてしまいます。
考えてみましょう。あなたの人生で霊が見えなくて困ったことはありますか?霊が見えなくて損したことはありますか?ないでしょう。あるわけありません。霊が見えたり感じたりできたところでなんの得もないのです。霊が見えないことで子孫が絶えるということもありません。実際あなたは何世代も前の先祖から連綿と続いて生きて来ているではありませんか。霊がこの世にどれだけ溢れていようとたいした問題じゃないのです。てんでへっちゃらなのです。あなたに関係ないのです。霊なんていませんが、仮にいたとしても空気中無数に浮かぶ塵芥と同じようなものです。
霊障と間違えられやすいのが”運”です。霊障はありませんが運はあります。交通事故を連想してみればわかるでしょう。交通事故は自分がその場に数秒前もしくは後にたどり着いていればその事故を避けることができる場合がほとんどです。ちょうど良くその場所に居たために事故にあってしまうのです。自分にまったく落ち度がなくても起こります。これは運以外のなにものでもありません。
「運」というのは「可能性の振り子」です。可能性の振り子は一定の軌道を同じタイミングで行ったり来たりを繰り返しています。人間には幾つもの可能性の振り子が動いています。頭の中でイメージしてみてください。
車の運転という振り子の軌道上に衝突事故という点があります。車同士の衝突事故の場合は相手の振り子と自分の振り子が同じタイミングで衝突事故の点の上にあった、ということなのです。通常はそう頻繁には起こりませんが、絶対起こらないことではありません。これが運の正体です。霊障などではないのです。よく事故が起こる場所などは単に振り子のタイミングが合いやすい場所ということです。だからその場所に少し手を入れて、振り子のタイミングをズラしてあげるとたちまち事故が減るのです。
滅多に起こらない事ほど振り子の振幅は大きくなり、軌道上の点も小さくなります。例えば望月岳陽が読者の不安を煽る材料としてよく使っている「生まれついての難病」も、誕生という可能性の振り子上の点です。発生率が非常に稀なのは振り子の振幅が大きく、難病という軌道上の点も小さいためです。しかし絶対に起こらないわけではありません。逆に言うと誰もがその点を持っているということです。
この振り子からは如何なる人間も逃れることはできません。そして振り子を意図的にコントロールすることはできません。改名や命名によっても振り子の振幅や点の大きさをを変えることはできません。改名しても車の運転をすれば衝突事故の可能性から逃れられないからです。
霊障は存在しません。まったくありません。どれほど霊障のように見える現象でも単なる「可能性の振り子=運」です。運だけが存在するのです。運の悪い出来事は可能性の振り子により発生するのです。振り子の…いや、ちょっと話が横に逸れ過ぎるのでやめましょう。
幸福の科学をはじめとする新興宗教を見ればわかるかとおもいますが、科学的に証明されていないことを信用するということは非常に愚かしいことであり、危険なことです。かつてのオウム真理教は毒ガスによる殺人まで犯しました。幸福の科学の教義と天命数霊術は程度の違いこそあれ、科学的に証明されていないという枠組みにおいて大して変わりません。おいらは決してオーバーに言っているわけではありません。より正確に言うと、天命数霊術のようなデタラメを「もしかしたらそうなのかも…」という気持ちで受け入れてしまうような心持ちこそが、めぐりめぐって幸福の科学のような気持ち悪い教団を大きくしている原因ということなのです。
天命数霊術は科学的に見て正しいですか?いや、科学的に証明するまでもありません。天命数霊術的に完璧な名前が事実として不幸な結果になっているのです。おいらのブログでもそれは何度も証明してきました。非科学とはキッチリカッチリ壁を作って接触を断ちましょう。
「もしかしたら…」なんてことは絶対にないのです。
幸福の科学は大川隆法を信仰の対象にしています。大川自身は自らを「釈尊(お釈迦様)の再誕であり、救世主である」と公言しています。大川は昭和56年3月に突然「神がかった」そうで、日興上人からのメッセージを受け、無意識に手が動いて文字を書く「自動書記」現象が起こり、この啓示によって「人類救済の大いなる使命を自覚した」のだそうです。そして昭和60年10月釈尊の啓示と称する教典を発刊し「幸福の科学」を設立しました。教団名は隆法が受けたという日蓮聖人の「これは宗教ではなく、哲学であり、幸福の科学なのだ」とかいう霊言に基づいているそうです。教団名に「科学」とついていますが、内実にまったく科学的なところがありません。
教団名の由来をもう一度確認します。「これは宗教ではなく、哲学であり、幸福の科学なのだ」
望月岳陽の天命数霊術は「この説は占いや宗教ではありません。人文科学的な根拠にもとづいたもの」
いかがです?とっても似ているでしょう?
隆法はたかが新興宗教の分際で「哲学」だの「科学」などとフザケた事を言って大衆を惑わせています。岳陽もたかが占いの分際で「人文科学的な根拠にもとづいたもの」などとワザと大衆が科学だと錯覚を起こすように言っています。そしてどちらも共通しているのは「科学的に実証されていない」ということです。どちらも本人がそう言っているに過ぎないのであり、実際に証明されたことは一度もありません。このことから認知しなければならないことは、望月岳陽の天命数霊術を信じるという行為は幸福の科学を信じるという行為と「行動のレベル」においてはまったく違いはない、ということです。「天命数霊術」にハマっているという行為は「幸福の科学にハマっている」というのとまったく同じである、と言う事を正しく理解する必要があるでしょう。つまり天命数霊術を信じるということはそのくらい異常な事であると言う事です。ハマっている人は自分が異常とは思わないところも似ていますね。
これを読んでいるあなたがもし幸福の科学の正会員で天命数霊術にハマっているなら、もはや救いようがありません。諦めてください(笑)。
[第573回]より抜粋
もし、ご自分が天国に行き、下界を見下ろした時、
「いい加減な”ニセ霊能者”が、公共の電波を使い、全国に自分の霊を呼び出すなんて、失礼も極まりない!それに、”霊”は電波と言う”電磁波”が一番嫌いなのだ!静かに楽園いるのにテレビで公開とは何事だ!霊視で自分を呼び出すなら、遺族だけでコッソリしてくれ!」
と言う気持ちが本当ではないでしょうか?
<中略>
さて、この「下ヨシ子」氏の講演会に行った人から聴いたのですが、「真言宗の修行をして、霊能力が付いた」とのこと?
それを聴いて、私は”ウソだ!”とすぐ分かりましたよ。
霊能力(霊視)は、修行では付かないのですよ。霊能力はある日、突然のこと身に付く能力なのです。(”除霊・浄霊”は修行で身に付くことはあります。) 「霊視能力」と「除霊能力」と混同していること自体、「下ヨシ子」氏は霊能者としての資質に疑いがあります。実際に霊視での発言は、具体性がなく、誰でも 言える抽象的な話ばかりですよ。(最近の江原宏之も銀座の母も具体性がない話ばかり。)本者は、人名・地名・家屋や土地環境など固有名詞や具体的な事実まで当てますよ。
私の娘は、中学1年生の時、修行など1日もなく、ある日突然、霊視と予言能力が付いたこと、ブログに投稿済ですね。
これに比し、従兄は真言宗高野山派の住職で、約50年間、高野山本山、信貴山・京都東寺・大覚寺・永平寺などで”荒修行”をして来ましたが、霊能力はなく、”霊視”は娘に聴いているほどなんです。
第一、”霊視”を、電磁波を嫌うテレビで全国に公開するなんて、本者の霊能者はしませんよ。
あなただって、折角、天国で静かに暮らしているのに、ある日、突然、テレビで公開されたら、嬉しいですか?
こんな霊の気持ちも理解していない”ニセ霊能者”でも、テレビに出演している「下ヨシ子」や「銀座の母」などを妄信している日本人は、なんて単純な民族でしょうね。
もし、ご自分が天国に行き、下界を見下ろした時、
「いい加減な”ニセ霊能者”が、公共の電波を使い、全国に自分の霊を呼び出すなんて、失礼も極まりない!それに、”霊”は電波と言う”電磁波”が一番嫌いなのだ!静かに楽園いるのにテレビで公開とは何事だ!霊視で自分を呼び出すなら、遺族だけでコッソリしてくれ!」
と言う気持ちが本当ではないでしょうか?
<中略>
さて、この「下ヨシ子」氏の講演会に行った人から聴いたのですが、「真言宗の修行をして、霊能力が付いた」とのこと?
それを聴いて、私は”ウソだ!”とすぐ分かりましたよ。
霊能力(霊視)は、修行では付かないのですよ。霊能力はある日、突然のこと身に付く能力なのです。(”除霊・浄霊”は修行で身に付くことはあります。) 「霊視能力」と「除霊能力」と混同していること自体、「下ヨシ子」氏は霊能者としての資質に疑いがあります。実際に霊視での発言は、具体性がなく、誰でも 言える抽象的な話ばかりですよ。(最近の江原宏之も銀座の母も具体性がない話ばかり。)本者は、人名・地名・家屋や土地環境など固有名詞や具体的な事実まで当てますよ。
私の娘は、中学1年生の時、修行など1日もなく、ある日突然、霊視と予言能力が付いたこと、ブログに投稿済ですね。
これに比し、従兄は真言宗高野山派の住職で、約50年間、高野山本山、信貴山・京都東寺・大覚寺・永平寺などで”荒修行”をして来ましたが、霊能力はなく、”霊視”は娘に聴いているほどなんです。
第一、”霊視”を、電磁波を嫌うテレビで全国に公開するなんて、本者の霊能者はしませんよ。
あなただって、折角、天国で静かに暮らしているのに、ある日、突然、テレビで公開されたら、嬉しいですか?
こんな霊の気持ちも理解していない”ニセ霊能者”でも、テレビに出演している「下ヨシ子」や「銀座の母」などを妄信している日本人は、なんて単純な民族でしょうね。
天国にいる霊は電磁波を嫌うのですか?霊の気持ちが分かるのですか?へええ。
ところで天国ってどこにあるんですか?住所教えてもらえませんか?(笑)
望月岳陽は書いてますね。「霊能力(霊視)は、修行では付かないのですよ。霊能力はある日、突然のこと身に付く能力なのです。」だとしたら、大川隆法も本物の霊能力者にと言う事になりますね。愚かしい事です。
それにしても70代の爺さんが「霊は電磁波が嫌いだ」とか「天国に暮らしているのに」とか、よく書くことができますよねえ。一体どんな生き方してきたら、そんなことを恥ずかしげもなく書けるようになるのでしょう。
望月岳陽は自分の娘が”本物の霊能力者”であるとたびたびブログに投稿しています。天命数霊術の例外のひとつである「霊障」もこの娘を利用したものでしょう。岳陽の投稿を読んでいると感じますが、自分の娘が”本物の霊能力者”であることが自慢でもあるようです。
さて、あなた自身は霊が見えますか?また、あなたの回りの親族、友人、知人を含めて「霊が見える」人は何人いますか?
おいら自身は無論霊なんぞ見えません。試しにおいらの回り30人の親族、友人、知人に「霊の見える奴を知っているか」と聞いて回ったら、誰も「そんな知り合いはいない」との返答でした。この30人にひとりあたり30人の友人・知人がいると仮定した場合、およそ900人は「霊が見えない」という事になりますね。あなたもぜひ試してみてください。霊が見える奴なんていないのが普通です。稀に「見える」なんて言うおかしな奴が一人くらいはいるかと思いますが、圧倒的にほとんどの人は「見えない」でしょう。まともな通常の人に霊は見えないものなのです。そうですよね?圧倒的な数の人々が霊なんて見えないのですから。通常普通の人に霊は見えません。
よって「霊が見える人」は「異常」なのです。通常ではないという意味で異常なのです。普通ではないのです。まともな普通の人ではないから霊が見えるのです。そうでしょう?圧倒的多数の人に見えないものが、その人には見えるのだから異常としか言いようがないでしょう。単なる異常者でしかない霊能者は偉くもなんともありません。本当かどうかわかりませんが、変な物が見えたり聞こえたり感じれたりするだけの存在です。
ここで疑問が起こります。なぜ通常ではない”異常者”の言うことを”通常の人”が受け入れなければならないのでしょう?異常者の言う事を通常の人は見たり感じたりすることができません。異常者の言う事を裏付けることはできないのです。嘘をつかれていてもわかりません。通常の人は異常者の言う事を見たり感じたりすることができないために「もしかしたらそうなのかも…」という考えに囚われがちです。そしてそういう浮ついた心持ちにつけ込まれてしまいます。
考えてみましょう。あなたの人生で霊が見えなくて困ったことはありますか?霊が見えなくて損したことはありますか?ないでしょう。あるわけありません。霊が見えたり感じたりできたところでなんの得もないのです。霊が見えないことで子孫が絶えるということもありません。実際あなたは何世代も前の先祖から連綿と続いて生きて来ているではありませんか。霊がこの世にどれだけ溢れていようとたいした問題じゃないのです。てんでへっちゃらなのです。あなたに関係ないのです。霊なんていませんが、仮にいたとしても空気中無数に浮かぶ塵芥と同じようなものです。
霊障と間違えられやすいのが”運”です。霊障はありませんが運はあります。交通事故を連想してみればわかるでしょう。交通事故は自分がその場に数秒前もしくは後にたどり着いていればその事故を避けることができる場合がほとんどです。ちょうど良くその場所に居たために事故にあってしまうのです。自分にまったく落ち度がなくても起こります。これは運以外のなにものでもありません。
「運」というのは「可能性の振り子」です。可能性の振り子は一定の軌道を同じタイミングで行ったり来たりを繰り返しています。人間には幾つもの可能性の振り子が動いています。頭の中でイメージしてみてください。
車の運転という振り子の軌道上に衝突事故という点があります。車同士の衝突事故の場合は相手の振り子と自分の振り子が同じタイミングで衝突事故の点の上にあった、ということなのです。通常はそう頻繁には起こりませんが、絶対起こらないことではありません。これが運の正体です。霊障などではないのです。よく事故が起こる場所などは単に振り子のタイミングが合いやすい場所ということです。だからその場所に少し手を入れて、振り子のタイミングをズラしてあげるとたちまち事故が減るのです。
滅多に起こらない事ほど振り子の振幅は大きくなり、軌道上の点も小さくなります。例えば望月岳陽が読者の不安を煽る材料としてよく使っている「生まれついての難病」も、誕生という可能性の振り子上の点です。発生率が非常に稀なのは振り子の振幅が大きく、難病という軌道上の点も小さいためです。しかし絶対に起こらないわけではありません。逆に言うと誰もがその点を持っているということです。
この振り子からは如何なる人間も逃れることはできません。そして振り子を意図的にコントロールすることはできません。改名や命名によっても振り子の振幅や点の大きさをを変えることはできません。改名しても車の運転をすれば衝突事故の可能性から逃れられないからです。
霊障は存在しません。まったくありません。どれほど霊障のように見える現象でも単なる「可能性の振り子=運」です。運だけが存在するのです。運の悪い出来事は可能性の振り子により発生するのです。振り子の…いや、ちょっと話が横に逸れ過ぎるのでやめましょう。
幸福の科学をはじめとする新興宗教を見ればわかるかとおもいますが、科学的に証明されていないことを信用するということは非常に愚かしいことであり、危険なことです。かつてのオウム真理教は毒ガスによる殺人まで犯しました。幸福の科学の教義と天命数霊術は程度の違いこそあれ、科学的に証明されていないという枠組みにおいて大して変わりません。おいらは決してオーバーに言っているわけではありません。より正確に言うと、天命数霊術のようなデタラメを「もしかしたらそうなのかも…」という気持ちで受け入れてしまうような心持ちこそが、めぐりめぐって幸福の科学のような気持ち悪い教団を大きくしている原因ということなのです。
天命数霊術は科学的に見て正しいですか?いや、科学的に証明するまでもありません。天命数霊術的に完璧な名前が事実として不幸な結果になっているのです。おいらのブログでもそれは何度も証明してきました。非科学とはキッチリカッチリ壁を作って接触を断ちましょう。
「もしかしたら…」なんてことは絶対にないのです。
2009年10月16日金曜日
天命数霊術?老人と品性
望月岳陽の天命数霊術のブログを読んで行くと「品性」という言葉が何度も脳裏をヨギります。
「品性」とは「道徳的な基準から見たその人の性質・人格」という意味です。
岳陽のブログのそこかしこには彼の品性が滲み出た記載を垣間見る事ができます。
いかがですか?
ひどいもんでしょう(笑)。
おいらのこのPOSTでも書いていますが、望月岳陽はたびたび他人様の人相をコケ下ろしています。これらの投稿文章には71年生きて来て蓄えられたはずの「品性のカケラ」も見て取ることができません。
望月岳陽は天命数霊術のブログに自分の顔写真を載せていますが、とてもとてもとても他人様の顔をウンヌンできるような人相ではありません。あの顔写真を見ていると、むしろ「守屋武昌」や「小嶋進」の方が立派な顔立ちに見えてくるくらいです。嘘だと思うなら今すぐ望月岳陽の天命数霊術のブログを参照して見てください。おいらの書いていることが正しいと理解できるでしょう。望月岳陽に人相を言われた連中が岳陽の写真をみたらこう言うこと請け合いです。「お前に言われたくねーよ!」
望月岳陽は自分を「立派な人相の持ち主」と思っているのでしょう。そうでなくては自分の写真を公開しながらあのように他人様の人相をコケ下ろす事なんぞできませんよね。そう。この点です。ここに品性が出ているのです。品性高潔な人物は自分を「立派な人相の持ち主」だと思っていても他人様の人相にケチをつけたりしません。完全に褒めるべき隙間がないほどの人相に対しても「個性的なお顔立ちで…」という返しが出来るものです。ところが岳陽は”詐欺師のような顔”だの”苦虫を噛んだような人相”だのと平気で書いています。どれだけ品性に欠けるか分かるでしょう。71年も生きていてそれがどのくらい品性に欠ける行ないであるかと言うのがわからない筈はありません。そうです。そうなのです。常識で言えば「71歳の老人に品性の欠ける行ないがわからない筈がない」のです!
ではなぜ望月岳陽は71年という人生経験を積みながらこうした品性のない記述を平気で世間に晒しているのでしょう?これにはおいらも悩みました。最初は何か別の狙いがあってワザとこうした書き方をしているのだと勘ぐっていました。しかしおいらの分析は驚くような着地点を向かえました。
こう考えるとすべての辻褄が合うのです。「品性という概念が最初から欠落している」と。
そう仮定してすべての望月岳陽のブログを読み返して見ると、とてつもなく収まりが良いのです。
「望月岳陽は品性という概念が最初から欠落している」これを前提として読み進めると、幾重にも折り重なるように吐き出された岳陽の言葉になんの抵抗感も無く、サラリと流す事ができるようになるのです。この発見においらは解脱したような気分になりました(笑)。
実際そういう結論しか道がなかったのです。常識で言えば「71歳の老人に品性の欠ける行ないがわからない筈がない」のです。しかし望月岳陽のブログにはこの常識と相反する記述があちこちに見られます。相反しなければならない理由も探しましたがブログの中に見つける事ができませんでした。事実と論理の間で悩んだ末に到達した結論なのです。
これはおいらの結論であり皆さんと共有することはできないかもしれません。そもそも品性はどこに中心を持ってくるかで高潔・下劣の判断が多分に違ってしまいます。育ってきた環境によっては高潔・下劣の概念すら少なくない隔たりがあるでしょう。極端に言えば「他人様の人相をコケ下ろすのは品性高潔だから」だと言い出す輩が出てきても不思議ではないのです。よってこの「品性という概念が最初から欠落している」は皆さんの賛同を得にくい結果でしょう。そうは言えども、ぜひ一度この前提を試して岳陽のブログを読んで見てください。おいらの分析結果を越えた見解が貴方の脳裏に宿るかもしれません。
おいらは望月岳陽のブログを読んでいると常々感じるのです。71年も生きて来てこのような文章を平気で世間に晒すことができると言う事は、とても寒々とした荒涼たる人生を送ってきたのではあるまいか、と。無論、岳陽は否定するでしょう。しかし想像してみてください。71年という時間は人間にとって決して短くありません。とても暖かい幸せに包まれた人生を過ごしてきた者ならば、ほとんどの執着から開放されて、残りの人生は天が自分にくれたご褒美の時間だと日々を大切に楽しむ境地に至っているはずです。実際においらの知っている老人の幾人かこの境地に至っている人がいます。このように年月を重ねられたらどんなに良いだろう、と、おいらも羨む年の重ね方です(ちなみにこの方達は天命数霊術的には最悪の名前です)。
一方、望月岳陽はどうでしょうか?平気で他人様の人相をコケ下ろし、科学的にも統計的にも証明されていないバッタ物な天命数霊術普及の為に都合の良い解釈やこじつけ・屁理屈を恥とも思わず書き散らし、あちこちから批判を受けても「これは地動説だ」とわけのわからん弁解で誤魔化し、批判が続けば”個人批判はやめろ”とまくし立て、批判がどれほどスジの通った論理的批判であっても、まるで意見を聞かずに”中傷・妨害”と一方的に決め付け無視したあげく、”異次元の世界が見えてくる気がする”(前回POST参照)と意味不明な言動で己れを神格化して読者を籠絡しようと画策している。こういう現在を過ごしているのです。少なくともおいらにはそう見えます。おいらが「とても寒々とした荒涼たる人生を送ってきたのではあるまいか」と予想するのも無理からぬ事であると理解して頂けるでしょう。
ええっ?!
ちょ…ちょっと…。
時代劇やドラマの善人や悪人は役者さんが演じているのですよね?
望月岳陽はその事実を知らない筈はないよね?
つまり岳陽は「演じている役者の人相を見れば、その時代劇・ドラマにおいての”善人”の役か”悪人”の役かがわかる」と、言っているということで間違いありませんよね?
呆れ返るほどに失礼極まる奴!まったく下劣だね望月岳陽は。役者の芝居を”善人・悪人らしい”を言うのならともかく、取り替えのきかない役者の顔を指して”悪人相”で愚弄するとは。望月岳陽の下劣な品性を証明するに相応しい文章ですね。
おいらも決して品性高潔な部類には入りませんが、望月岳陽よりは何倍もマシであると確信できる今日この頃です。
「品性」とは「道徳的な基準から見たその人の性質・人格」という意味です。
岳陽のブログのそこかしこには彼の品性が滲み出た記載を垣間見る事ができます。
[第142回]より抜粋
現に、あのヒューザーの社長「小嶋 進」氏の顔は、”苦虫”を噛んだような人相!前事務次官「守屋武昌」氏は”笑顔”のないトボケ顔!
[第353回]より抜粋
今回の「丸明」の信用は、ガタ落ち!「船場吉兆」のように、会社更生法まで転落かな?僅かな”利ざや”稼ぎで、会社の元も子も無くす”イソップ物語 ”;”肉を咥えた犬、川に映った自分の顔と分からず、ワン!と吠え、肉が川にポチャン!自分の肉も無くした間抜けな犬”と、ソックリな社長!
人相も”頑固で欲深い顔”をしていますね。ミートポープの社長も同様な人相!「水戸黄門」の時代劇だけではなく、現代でも耐震強度偽装のヒューザー社長「小嶋進」や前防衛次官の「守屋武昌」も「4・7」タイプの悪者顔!
[第370回]より抜粋
成寿さま
その通りですね。コパは、風水師と称しながら、風水を少しも勉強していません。「風水による名づけ」と言いながら、どこにも風水概念を取り入れていませ ん。それに、確か「総画1」の説明?全国で姓名が「1画」の人がいたら、お目にかかりたいですね。こんな間違いを、コパも出版社も平気で掲載しているレベ ルの低さ!を通り越して、メチャメチャの本です。人相もニタニタ笑う詐欺師のような顔していますね。人相を見れば、その人の人格と教養が分かります。有名だからと信じていると、風水師詐称でギャラ・印税を得ているとしたら詐欺師になるのですよ。
[第573回]より抜粋
今までの”ニセ霊能者”、テレビに出ては消え、また視聴率稼ぎの”ヤラセ”の新しい自称;霊能者が次々に登場してきますね。
「銀座の母」もいい加減で下品な霊視、それに最近「下ヨシ子」氏という見るからに”余り幸せそうにない人相”の人がテレビに登場して来ましたね。名前だって「下ヨシ子」なんて、見るからに貧相な名前ですね。名前に”優雅さ”や”賢俊さ”など、少しも見られません。
現に、あのヒューザーの社長「小嶋 進」氏の顔は、”苦虫”を噛んだような人相!前事務次官「守屋武昌」氏は”笑顔”のないトボケ顔!
[第353回]より抜粋
今回の「丸明」の信用は、ガタ落ち!「船場吉兆」のように、会社更生法まで転落かな?僅かな”利ざや”稼ぎで、会社の元も子も無くす”イソップ物語 ”;”肉を咥えた犬、川に映った自分の顔と分からず、ワン!と吠え、肉が川にポチャン!自分の肉も無くした間抜けな犬”と、ソックリな社長!
人相も”頑固で欲深い顔”をしていますね。ミートポープの社長も同様な人相!「水戸黄門」の時代劇だけではなく、現代でも耐震強度偽装のヒューザー社長「小嶋進」や前防衛次官の「守屋武昌」も「4・7」タイプの悪者顔!
[第370回]より抜粋
成寿さま
その通りですね。コパは、風水師と称しながら、風水を少しも勉強していません。「風水による名づけ」と言いながら、どこにも風水概念を取り入れていませ ん。それに、確か「総画1」の説明?全国で姓名が「1画」の人がいたら、お目にかかりたいですね。こんな間違いを、コパも出版社も平気で掲載しているレベ ルの低さ!を通り越して、メチャメチャの本です。人相もニタニタ笑う詐欺師のような顔していますね。人相を見れば、その人の人格と教養が分かります。有名だからと信じていると、風水師詐称でギャラ・印税を得ているとしたら詐欺師になるのですよ。
[第573回]より抜粋
今までの”ニセ霊能者”、テレビに出ては消え、また視聴率稼ぎの”ヤラセ”の新しい自称;霊能者が次々に登場してきますね。
「銀座の母」もいい加減で下品な霊視、それに最近「下ヨシ子」氏という見るからに”余り幸せそうにない人相”の人がテレビに登場して来ましたね。名前だって「下ヨシ子」なんて、見るからに貧相な名前ですね。名前に”優雅さ”や”賢俊さ”など、少しも見られません。
いかがですか?
ひどいもんでしょう(笑)。
おいらのこのPOSTでも書いていますが、望月岳陽はたびたび他人様の人相をコケ下ろしています。これらの投稿文章には71年生きて来て蓄えられたはずの「品性のカケラ」も見て取ることができません。
望月岳陽は天命数霊術のブログに自分の顔写真を載せていますが、とてもとてもとても他人様の顔をウンヌンできるような人相ではありません。あの顔写真を見ていると、むしろ「守屋武昌」や「小嶋進」の方が立派な顔立ちに見えてくるくらいです。嘘だと思うなら今すぐ望月岳陽の天命数霊術のブログを参照して見てください。おいらの書いていることが正しいと理解できるでしょう。望月岳陽に人相を言われた連中が岳陽の写真をみたらこう言うこと請け合いです。「お前に言われたくねーよ!」
望月岳陽は自分を「立派な人相の持ち主」と思っているのでしょう。そうでなくては自分の写真を公開しながらあのように他人様の人相をコケ下ろす事なんぞできませんよね。そう。この点です。ここに品性が出ているのです。品性高潔な人物は自分を「立派な人相の持ち主」だと思っていても他人様の人相にケチをつけたりしません。完全に褒めるべき隙間がないほどの人相に対しても「個性的なお顔立ちで…」という返しが出来るものです。ところが岳陽は”詐欺師のような顔”だの”苦虫を噛んだような人相”だのと平気で書いています。どれだけ品性に欠けるか分かるでしょう。71年も生きていてそれがどのくらい品性に欠ける行ないであるかと言うのがわからない筈はありません。そうです。そうなのです。常識で言えば「71歳の老人に品性の欠ける行ないがわからない筈がない」のです!
ではなぜ望月岳陽は71年という人生経験を積みながらこうした品性のない記述を平気で世間に晒しているのでしょう?これにはおいらも悩みました。最初は何か別の狙いがあってワザとこうした書き方をしているのだと勘ぐっていました。しかしおいらの分析は驚くような着地点を向かえました。
こう考えるとすべての辻褄が合うのです。「品性という概念が最初から欠落している」と。
そう仮定してすべての望月岳陽のブログを読み返して見ると、とてつもなく収まりが良いのです。
「望月岳陽は品性という概念が最初から欠落している」これを前提として読み進めると、幾重にも折り重なるように吐き出された岳陽の言葉になんの抵抗感も無く、サラリと流す事ができるようになるのです。この発見においらは解脱したような気分になりました(笑)。
実際そういう結論しか道がなかったのです。常識で言えば「71歳の老人に品性の欠ける行ないがわからない筈がない」のです。しかし望月岳陽のブログにはこの常識と相反する記述があちこちに見られます。相反しなければならない理由も探しましたがブログの中に見つける事ができませんでした。事実と論理の間で悩んだ末に到達した結論なのです。
これはおいらの結論であり皆さんと共有することはできないかもしれません。そもそも品性はどこに中心を持ってくるかで高潔・下劣の判断が多分に違ってしまいます。育ってきた環境によっては高潔・下劣の概念すら少なくない隔たりがあるでしょう。極端に言えば「他人様の人相をコケ下ろすのは品性高潔だから」だと言い出す輩が出てきても不思議ではないのです。よってこの「品性という概念が最初から欠落している」は皆さんの賛同を得にくい結果でしょう。そうは言えども、ぜひ一度この前提を試して岳陽のブログを読んで見てください。おいらの分析結果を越えた見解が貴方の脳裏に宿るかもしれません。
おいらは望月岳陽のブログを読んでいると常々感じるのです。71年も生きて来てこのような文章を平気で世間に晒すことができると言う事は、とても寒々とした荒涼たる人生を送ってきたのではあるまいか、と。無論、岳陽は否定するでしょう。しかし想像してみてください。71年という時間は人間にとって決して短くありません。とても暖かい幸せに包まれた人生を過ごしてきた者ならば、ほとんどの執着から開放されて、残りの人生は天が自分にくれたご褒美の時間だと日々を大切に楽しむ境地に至っているはずです。実際においらの知っている老人の幾人かこの境地に至っている人がいます。このように年月を重ねられたらどんなに良いだろう、と、おいらも羨む年の重ね方です(ちなみにこの方達は天命数霊術的には最悪の名前です)。
一方、望月岳陽はどうでしょうか?平気で他人様の人相をコケ下ろし、科学的にも統計的にも証明されていないバッタ物な天命数霊術普及の為に都合の良い解釈やこじつけ・屁理屈を恥とも思わず書き散らし、あちこちから批判を受けても「これは地動説だ」とわけのわからん弁解で誤魔化し、批判が続けば”個人批判はやめろ”とまくし立て、批判がどれほどスジの通った論理的批判であっても、まるで意見を聞かずに”中傷・妨害”と一方的に決め付け無視したあげく、”異次元の世界が見えてくる気がする”(前回POST参照)と意味不明な言動で己れを神格化して読者を籠絡しようと画策している。こういう現在を過ごしているのです。少なくともおいらにはそう見えます。おいらが「とても寒々とした荒涼たる人生を送ってきたのではあるまいか」と予想するのも無理からぬ事であると理解して頂けるでしょう。
ええっ?!
ちょ…ちょっと…。
時代劇やドラマの善人や悪人は役者さんが演じているのですよね?
望月岳陽はその事実を知らない筈はないよね?
つまり岳陽は「演じている役者の人相を見れば、その時代劇・ドラマにおいての”善人”の役か”悪人”の役かがわかる」と、言っているということで間違いありませんよね?
呆れ返るほどに失礼極まる奴!まったく下劣だね望月岳陽は。役者の芝居を”善人・悪人らしい”を言うのならともかく、取り替えのきかない役者の顔を指して”悪人相”で愚弄するとは。望月岳陽の下劣な品性を証明するに相応しい文章ですね。
おいらも決して品性高潔な部類には入りませんが、望月岳陽よりは何倍もマシであると確信できる今日この頃です。
2009年10月14日水曜日
天命数霊術?本質が見えていない!
望月岳陽の天命数霊術のブログを読んでいると、物事への解釈が非常に疑問に思える点がいくつも出てきます。今回の投稿がその良い例になります。
この投稿で望月岳陽は「犯した罪」と「本人の資質と活躍」は別物である、ということを言いたいようですね。
まるで酒井法子に対して大衆・マスコミが”本業の資質”を批判しているような書き方ですね。そうでしょう?”「犯した罪」と「本人の資質と活躍」は別物”だから”「酒井法子容疑者」の問題は投稿しない”と、言っていますよね?それはつまり大衆・マスコミが”本業の資質”を批判しているという事ですよね?はてさて。酒井法子のタレントとしての資質を大衆・マスコミが批判したのですか?酒井法子の歌が下手糞だとか演技が芋臭いだとかバラエティでの喋りができないとかいう「タレントの資質」を批判したのですか?そんなことはマスコミも一言も言っていませんよね?大衆・マスコミは酒井法子の歌や演技等の資質を批判などしていません。「覚醒剤所持(使用)」の事実を批判していたのです。そうですよね?そうでしたよね?”本業の資質”を誰も批判していないのに、なぜ望月岳陽はこのような事を書いたのでしょう?
酒井法子(天格=18 地格=7 総格=25)<天命数霊術的計算>
なるほどね。望月岳陽は5系を含む格数を持っている酒井法子のタレントとしての才能を、覚醒剤所持(使用)の事実と分離したかったようです。そうすることによって天命数霊術の判断の正しさを担保できると思ったのでしょう。岳陽なりに一生懸命の誤魔化しをしていたわけです。姑息な手を使いますね。しかし才能がどれだけあろうが「酒井法子」という名前を掲げる者が法を犯しての覚醒剤中毒者であることには変わりありません。ここでも天命数霊術的に良い5系を持つ事がまったく良好な結果を導き出さないことが証明されましたね。
「民主党の新人議員」とは田中美絵子のことですね。新人が大挙して出馬した「小沢ガールズ」と呼ばれる中でもトップクラスの美人と評判の人物でした。「映画で乳晒していた」り「風俗ライター」だったりした「過去の事」を殊更あげつらうのが良いと言うわけではありません。これは法律違反でもないですしね。しかしなぜ田中美絵子はこれら過去の事を隠して出馬したのでしょうか?民主党本部も知らなかった事実であり、本部は「コメントできない」の一点張りです。田中が「生活苦でやむを得ず」やったと言うなら隠す必要などなく堂々と過去の履歴として公表すれば良いだけの話でしょう。公表して出馬したのなら、騒ぎにはなっていなかったはずです。ましてや、過去の履歴を隠して出馬するということは投票者である国民を欺く行為です。田中への批判は「過去を隠して当選した」という事実という点が最も大きいのです。この点こそが「議員資質」として問題になるのです。それを岳陽はまったく理解できてなく、「本人の資質と過去の職業は関係ない」などと見当外れな見解をホザいています。愚かですねえ。
ここで大事なことは「時系列を正しく判断する」ということです。
田中美絵子の時系列は「出馬」→「当選」→「過去発覚」です。だから非難されるのです。これは当然ですね。これが「過去全部公表」→「出馬」→「当選」なら国民は田中の過去を知った上で投票したのですから何の問題もなかったでしょう。
ちなみに田中美絵子についてはまだまだ疑惑があります。こちらを参照してください。これが事実なら議員秘書時代に行っていたバイトとしてかなり問題でしょうね。
山本集にしても安部譲二にしても現在「ヤクザから足を洗った」から関西国際空港に富士山の絵が飾られたり文筆業で活躍したりできているのです。ヤクザのままだったら富士山が飾られましたか?自分を晒して本が出版できましたか?
二人は「ヤクザ」→「ヤクザ足を洗う」→「画家または小説家」という時系列です。ヤクザ活動を現在一切していない、という前提の元に人々に受け入れられているのです。どれほど素晴らしい富士山でも現在ヤクザをしていれば倫理上問題があるとして関西国際空港には飾られなかったでしょう。「犯した罪」と「本人の資質と活躍」は別物であるという意見は、この時系列によって始めて成り立つものなのです。
常識的に考えてください。
もしあなたが信用している姓名判断師が不倫したら、あなたはその姓名判断を信用できますか?
もしあなたが信用している姓名判断師が破産したら、あなたはその姓名判断を信用できますか?
もしあなたが信用している姓名判断師が覚醒剤中毒だとしたら、あなたはその姓名判断を信用できますか?
望月岳陽は”本来の業務の実力・資質”と”個人的な問題”とは違うからその姓名判断は信用せよ、と言っているのですよ。そうですよね?どうですか?信用できますか?
信用できるわけありません(笑)。そうでしょ?
姓名判断師の名前はその流派の最も良い名前になっているはず。それが「不倫」したり「破産」したり「覚醒剤中毒」だったりするような名前ならば、その流派の姓名判断はまったく嘘っぱちと言うことが証明されるでしょう。信用できるわけないのです。これを望月岳陽は信用せよと言っているのですよ?そう書いてありますよね?底抜けに呆れた姓名判断師ですね(爆笑)。
いかがでしょう?
望月岳陽のこの投稿には「時系列」という時間の概念が完全に抜け落ちているのです。そうした概念を無視して、まぜこぜに書いているのでなにやら意味の通らない話になってしまっているのです。おいらの説明で理解して頂けたと思いますが、田中美絵子と山本集・安部譲二の話は同じ視点で語るべき事柄ではありません。それに酒井法子の話はまったくの見当違いです。現時点で同じ話題上で語られるべき事ではありません。
言葉というものはその人の理解度を指し示す重要な尺度です。当然、理解度が深いほど第三者に的確に伝えられるものです。そういう意味で望月岳陽が正しく事の本質を見抜けていないことが明確にわかる投稿です。
さて、このように己れの本質が見えていない事を平気で晒している望月岳陽ですが、ブログで以下のような事を記しています。
”異次元の世界が見えてくる”気がするそうですよ(爆笑)。
予想ですけど”異次元の世界”は、アルツハイマーの初期症状ではないかと思いますよ。確か望月岳陽は奥さんと娘さんは離れて暮らしていたのではないでしょうか?心配ですねえ。今は良い薬があるそうですから、一刻も早く診察してもらい、薬の服用をお勧めします。あ。おいらが言っても受け入れて貰えそうにないから、どなたか意見してあげてくださいね(笑)。
皆さんは天命数霊術の理論で「立派な社会人が誕生」したかどうかをよくご存知ですね。
天命数霊術が「世界に貢献」できるほどの理論なのかどうかもご存知ですよね。
もし知らないという方がいればこのブログの過去のPOSTを読んでくださいね。
望月岳陽は最後に「有意義な生涯を送れますよ」と記しています。岳陽の言う「有意義な生涯」とは、71年も生きていて事の本質を見誤り、その誤った考えを世間に晒して恥をかくことを言うのでしょうか?
だとしたら、その「有意義な生涯」の本質すら見えていないことになりますね(爆笑)。
[第758回]より抜粋
「民主党の新人女性議員は、ヌードモデルであった!」
とマスコミに報道され、それをネタにバッシングするサイトが多いですが、私は、この批判は間違っていると思います。
これからの議員の”資質と活躍”には、過去の前歴には、何の関係もないことです。「本人は生活苦で、止む得えず・・・」と弁明しています。
皆さんも、職業人としての評価する場合、その職業とは全く関係のないことで、批判しないよう良識を持って頂きたいのです。
職業とは関係ない犯罪歴・反社会的行為・不倫・浮気・破産などがあっても、本業の職業とは、全く関係ないことです。
例えば、昨年に投稿した画家「山本 集」氏や有名な作家「安倍譲二」氏などは、かっては暴力団から足を洗って、社会貢献する人になったのですよ。それだからこそ、反社会的行為が過去にあっても、何ら、本業の”資質と活躍”には関係せず、「更正の道」が開けているいことを、良く理解して頂きたいのです。
この更正への道は、例えば、刑務所や少年院を出所し、保護司の紹介で、工場などに就職した場合、同僚からイジメられ、折角の更正への道が閉ざされ、再犯を呼ぶことになるケースも多いのですよ。
まして、今回の新人女性議員は、ヌードモデルであったとしても、それも職業であり、少しも「法に触れる反社会的行為」ではなく、現在の”議員資質”とは関係のないことです。
ですから、あれだけ毎日のようにテレビで放映されている「酒井法子」容疑者でも、本業の”タレント業”と”覚醒剤所持違反”とは、切り離して評価すべきなのです。これが、もし本業のタレント業の遂行に不祥事があれば、それは”本業の資質”が問われ、批判しても良いのです。
<中略>
しかし、”占い師”や”姓名判断師”が、上記のような反社会的行為があっても、”本来業務の実力・資質”と”個人的な問題”とは、切り離して評価すべきです。
<中略>
個人的な問題をマスコミが取り上げたり、中傷サイトで公開することは、「名誉毀損・信用毀損」になり、訴訟に発展する場合がありますので、皆さんも、人を 評価する場合、十分に気をつけて下さい。ですから、今回の「酒井法子容疑者」や「民主党の新人議員」の問題は、このブログでは投稿しないのです。
「民主党の新人女性議員は、ヌードモデルであった!」
とマスコミに報道され、それをネタにバッシングするサイトが多いですが、私は、この批判は間違っていると思います。
これからの議員の”資質と活躍”には、過去の前歴には、何の関係もないことです。「本人は生活苦で、止む得えず・・・」と弁明しています。
皆さんも、職業人としての評価する場合、その職業とは全く関係のないことで、批判しないよう良識を持って頂きたいのです。
職業とは関係ない犯罪歴・反社会的行為・不倫・浮気・破産などがあっても、本業の職業とは、全く関係ないことです。
例えば、昨年に投稿した画家「山本 集」氏や有名な作家「安倍譲二」氏などは、かっては暴力団から足を洗って、社会貢献する人になったのですよ。それだからこそ、反社会的行為が過去にあっても、何ら、本業の”資質と活躍”には関係せず、「更正の道」が開けているいことを、良く理解して頂きたいのです。
この更正への道は、例えば、刑務所や少年院を出所し、保護司の紹介で、工場などに就職した場合、同僚からイジメられ、折角の更正への道が閉ざされ、再犯を呼ぶことになるケースも多いのですよ。
まして、今回の新人女性議員は、ヌードモデルであったとしても、それも職業であり、少しも「法に触れる反社会的行為」ではなく、現在の”議員資質”とは関係のないことです。
ですから、あれだけ毎日のようにテレビで放映されている「酒井法子」容疑者でも、本業の”タレント業”と”覚醒剤所持違反”とは、切り離して評価すべきなのです。これが、もし本業のタレント業の遂行に不祥事があれば、それは”本業の資質”が問われ、批判しても良いのです。
<中略>
しかし、”占い師”や”姓名判断師”が、上記のような反社会的行為があっても、”本来業務の実力・資質”と”個人的な問題”とは、切り離して評価すべきです。
<中略>
個人的な問題をマスコミが取り上げたり、中傷サイトで公開することは、「名誉毀損・信用毀損」になり、訴訟に発展する場合がありますので、皆さんも、人を 評価する場合、十分に気をつけて下さい。ですから、今回の「酒井法子容疑者」や「民主党の新人議員」の問題は、このブログでは投稿しないのです。
この投稿で望月岳陽は「犯した罪」と「本人の資質と活躍」は別物である、ということを言いたいようですね。
ですから、今回の「酒井法子容疑者」や「民主党の新人議員」の問題は、このブログでは投稿しないのです。
まるで酒井法子に対して大衆・マスコミが”本業の資質”を批判しているような書き方ですね。そうでしょう?”「犯した罪」と「本人の資質と活躍」は別物”だから”「酒井法子容疑者」の問題は投稿しない”と、言っていますよね?それはつまり大衆・マスコミが”本業の資質”を批判しているという事ですよね?はてさて。酒井法子のタレントとしての資質を大衆・マスコミが批判したのですか?酒井法子の歌が下手糞だとか演技が芋臭いだとかバラエティでの喋りができないとかいう「タレントの資質」を批判したのですか?そんなことはマスコミも一言も言っていませんよね?大衆・マスコミは酒井法子の歌や演技等の資質を批判などしていません。「覚醒剤所持(使用)」の事実を批判していたのです。そうですよね?そうでしたよね?”本業の資質”を誰も批判していないのに、なぜ望月岳陽はこのような事を書いたのでしょう?
酒井法子(天格=18 地格=7 総格=25)<天命数霊術的計算>
なるほどね。望月岳陽は5系を含む格数を持っている酒井法子のタレントとしての才能を、覚醒剤所持(使用)の事実と分離したかったようです。そうすることによって天命数霊術の判断の正しさを担保できると思ったのでしょう。岳陽なりに一生懸命の誤魔化しをしていたわけです。姑息な手を使いますね。しかし才能がどれだけあろうが「酒井法子」という名前を掲げる者が法を犯しての覚醒剤中毒者であることには変わりありません。ここでも天命数霊術的に良い5系を持つ事がまったく良好な結果を導き出さないことが証明されましたね。
「民主党の新人議員」とは田中美絵子のことですね。新人が大挙して出馬した「小沢ガールズ」と呼ばれる中でもトップクラスの美人と評判の人物でした。「映画で乳晒していた」り「風俗ライター」だったりした「過去の事」を殊更あげつらうのが良いと言うわけではありません。これは法律違反でもないですしね。しかしなぜ田中美絵子はこれら過去の事を隠して出馬したのでしょうか?民主党本部も知らなかった事実であり、本部は「コメントできない」の一点張りです。田中が「生活苦でやむを得ず」やったと言うなら隠す必要などなく堂々と過去の履歴として公表すれば良いだけの話でしょう。公表して出馬したのなら、騒ぎにはなっていなかったはずです。ましてや、過去の履歴を隠して出馬するということは投票者である国民を欺く行為です。田中への批判は「過去を隠して当選した」という事実という点が最も大きいのです。この点こそが「議員資質」として問題になるのです。それを岳陽はまったく理解できてなく、「本人の資質と過去の職業は関係ない」などと見当外れな見解をホザいています。愚かですねえ。
ここで大事なことは「時系列を正しく判断する」ということです。
田中美絵子の時系列は「出馬」→「当選」→「過去発覚」です。だから非難されるのです。これは当然ですね。これが「過去全部公表」→「出馬」→「当選」なら国民は田中の過去を知った上で投票したのですから何の問題もなかったでしょう。
ちなみに田中美絵子についてはまだまだ疑惑があります。こちらを参照してください。これが事実なら議員秘書時代に行っていたバイトとしてかなり問題でしょうね。
山本集にしても安部譲二にしても現在「ヤクザから足を洗った」から関西国際空港に富士山の絵が飾られたり文筆業で活躍したりできているのです。ヤクザのままだったら富士山が飾られましたか?自分を晒して本が出版できましたか?
二人は「ヤクザ」→「ヤクザ足を洗う」→「画家または小説家」という時系列です。ヤクザ活動を現在一切していない、という前提の元に人々に受け入れられているのです。どれほど素晴らしい富士山でも現在ヤクザをしていれば倫理上問題があるとして関西国際空港には飾られなかったでしょう。「犯した罪」と「本人の資質と活躍」は別物であるという意見は、この時系列によって始めて成り立つものなのです。
しかし、”占い師”や”姓名判断師”が、上記のような反社会的行為があっても、”本来業務の実力・資質”と”個人的な問題”とは、切り離して評価すべきです。
常識的に考えてください。
もしあなたが信用している姓名判断師が不倫したら、あなたはその姓名判断を信用できますか?
もしあなたが信用している姓名判断師が破産したら、あなたはその姓名判断を信用できますか?
もしあなたが信用している姓名判断師が覚醒剤中毒だとしたら、あなたはその姓名判断を信用できますか?
望月岳陽は”本来の業務の実力・資質”と”個人的な問題”とは違うからその姓名判断は信用せよ、と言っているのですよ。そうですよね?どうですか?信用できますか?
信用できるわけありません(笑)。そうでしょ?
姓名判断師の名前はその流派の最も良い名前になっているはず。それが「不倫」したり「破産」したり「覚醒剤中毒」だったりするような名前ならば、その流派の姓名判断はまったく嘘っぱちと言うことが証明されるでしょう。信用できるわけないのです。これを望月岳陽は信用せよと言っているのですよ?そう書いてありますよね?底抜けに呆れた姓名判断師ですね(爆笑)。
いかがでしょう?
望月岳陽のこの投稿には「時系列」という時間の概念が完全に抜け落ちているのです。そうした概念を無視して、まぜこぜに書いているのでなにやら意味の通らない話になってしまっているのです。おいらの説明で理解して頂けたと思いますが、田中美絵子と山本集・安部譲二の話は同じ視点で語るべき事柄ではありません。それに酒井法子の話はまったくの見当違いです。現時点で同じ話題上で語られるべき事ではありません。
言葉というものはその人の理解度を指し示す重要な尺度です。当然、理解度が深いほど第三者に的確に伝えられるものです。そういう意味で望月岳陽が正しく事の本質を見抜けていないことが明確にわかる投稿です。
さて、このように己れの本質が見えていない事を平気で晒している望月岳陽ですが、ブログで以下のような事を記しています。
[第772回]より抜粋
私は「天命数霊術」を習得するにつれ、”学問”の世界から”異次元”の世界が見えてくる気が、最近になって感じています。
ある姓名判断師は、「改名しても、3年くらい経過しないと効果がない!」と言っていますが、それはその姓名判断師が本物ではなく、単に”占い”だからです。”占い”分野の姓名判断では、3年どころか、何十年経過しても効果がないのは当然です。
私の「天命数霊術」による改名では、私の条件さえ遵守して頂ければ、1〜3ヵ月で目に見える効果が、ホームページで紹介している事例の通りになります。1人でも多く、立派な社会人が誕生するよう開発した理論です。
これは、前述しましたように、世界平和の到来は、心から真摯に願うオバマ大統領(9画のパワー)のような”気”を持てば、必ず実現してくるものです。
それは、研究者が1つの目的を持って開発し、新製品で世界に貢献するのも同じ理論なのです。
皆さんも、何か1つでも目的を持って、社会貢献できる人生を歩めば、有意義な生涯を送れますよ。
私は「天命数霊術」を習得するにつれ、”学問”の世界から”異次元”の世界が見えてくる気が、最近になって感じています。
ある姓名判断師は、「改名しても、3年くらい経過しないと効果がない!」と言っていますが、それはその姓名判断師が本物ではなく、単に”占い”だからです。”占い”分野の姓名判断では、3年どころか、何十年経過しても効果がないのは当然です。
私の「天命数霊術」による改名では、私の条件さえ遵守して頂ければ、1〜3ヵ月で目に見える効果が、ホームページで紹介している事例の通りになります。1人でも多く、立派な社会人が誕生するよう開発した理論です。
これは、前述しましたように、世界平和の到来は、心から真摯に願うオバマ大統領(9画のパワー)のような”気”を持てば、必ず実現してくるものです。
それは、研究者が1つの目的を持って開発し、新製品で世界に貢献するのも同じ理論なのです。
皆さんも、何か1つでも目的を持って、社会貢献できる人生を歩めば、有意義な生涯を送れますよ。
”異次元の世界が見えてくる”気がするそうですよ(爆笑)。
予想ですけど”異次元の世界”は、アルツハイマーの初期症状ではないかと思いますよ。確か望月岳陽は奥さんと娘さんは離れて暮らしていたのではないでしょうか?心配ですねえ。今は良い薬があるそうですから、一刻も早く診察してもらい、薬の服用をお勧めします。あ。おいらが言っても受け入れて貰えそうにないから、どなたか意見してあげてくださいね(笑)。
皆さんは天命数霊術の理論で「立派な社会人が誕生」したかどうかをよくご存知ですね。
天命数霊術が「世界に貢献」できるほどの理論なのかどうかもご存知ですよね。
もし知らないという方がいればこのブログの過去のPOSTを読んでくださいね。
望月岳陽は最後に「有意義な生涯を送れますよ」と記しています。岳陽の言う「有意義な生涯」とは、71年も生きていて事の本質を見誤り、その誤った考えを世間に晒して恥をかくことを言うのでしょうか?
だとしたら、その「有意義な生涯」の本質すら見えていないことになりますね(爆笑)。
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