2009年10月16日金曜日

天命数霊術?老人と品性

望月岳陽の天命数霊術のブログを読んで行くと「品性」という言葉が何度も脳裏をヨギります。
「品性」とは「道徳的な基準から見たその人の性質・人格」という意味です。
岳陽のブログのそこかしこには彼の品性が滲み出た記載を垣間見る事ができます。

[第142回]より抜粋 
現に、あのヒューザーの社長「小嶋 進」氏の顔は、”苦虫”を噛んだような人相!前事務次官「守屋武昌」氏は”笑顔”のないトボケ顔!

[第353回]より抜粋 
今回の「丸明」の信用は、ガタ落ち!「船場吉兆」のように、会社更生法まで転落かな?僅かな”利ざや”稼ぎで、会社の元も子も無くす”イソップ物語 ”;”肉を咥えた犬、川に映った自分の顔と分からず、ワン!と吠え、肉が川にポチャン!自分の肉も無くした間抜けな犬”と、ソックリな社長!
人相も”頑固で欲深い顔”をしていますね。ミートポープの社長も同様な人相!「水戸黄門」の時代劇だけではなく、現代でも耐震強度偽装のヒューザー社長「小嶋進」や前防衛次官の「守屋武昌」も「4・7」タイプの悪者顔!

[第370回]より抜粋 
成寿さま
その通りですね。コパは、風水師と称しながら、風水を少しも勉強していません。「風水による名づけ」と言いながら、どこにも風水概念を取り入れていませ ん。それに、確か「総画1」の説明?全国で姓名が「1画」の人がいたら、お目にかかりたいですね。こんな間違いを、コパも出版社も平気で掲載しているレベ ルの低さ!を通り越して、メチャメチャの本です。人相もニタニタ笑う詐欺師のような顔していますね。人相を見れば、その人の人格と教養が分かります。有名だからと信じていると、風水師詐称でギャラ・印税を得ているとしたら詐欺師になるのですよ。

[第573回]より抜粋
今までの”ニセ霊能者”、テレビに出ては消え、また視聴率稼ぎの”ヤラセ”の新しい自称;霊能者が次々に登場してきますね。
「銀座の母」もいい加減で下品な霊視、それに最近「下ヨシ子」氏という見るからに”余り幸せそうにない人相”の人がテレビに登場して来ましたね。名前だって「下ヨシ子」なんて、見るからに貧相な名前ですね。名前に”優雅さ”や”賢俊さ”など、少しも見られません。

いかがですか?
ひどいもんでしょう(笑)。
おいらのこのPOSTでも書いていますが、望月岳陽はたびたび他人様の人相をコケ下ろしています。これらの投稿文章には71年生きて来て蓄えられたはずの「品性のカケラ」も見て取ることができません。

望月岳陽は天命数霊術のブログに自分の顔写真を載せていますが、とてもとてもとても他人様の顔をウンヌンできるような人相ではありません。あの顔写真を見ていると、むしろ「守屋武昌」や「小嶋進」の方が立派な顔立ちに見えてくるくらいです。嘘だと思うなら今すぐ望月岳陽の天命数霊術のブログを参照して見てください。おいらの書いていることが正しいと理解できるでしょう。望月岳陽に人相を言われた連中が岳陽の写真をみたらこう言うこと請け合いです。「お前に言われたくねーよ!」

望月岳陽は自分を「立派な人相の持ち主」と思っているのでしょう。そうでなくては自分の写真を公開しながらあのように他人様の人相をコケ下ろす事なんぞできませんよね。そう。この点です。ここに品性が出ているのです。品性高潔な人物は自分を「立派な人相の持ち主」だと思っていても他人様の人相にケチをつけたりしません。完全に褒めるべき隙間がないほどの人相に対しても「個性的なお顔立ちで…」という返しが出来るものです。ところが岳陽は”詐欺師のような顔”だの”苦虫を噛んだような人相”だのと平気で書いています。どれだけ品性に欠けるか分かるでしょう。71年も生きていてそれがどのくらい品性に欠ける行ないであるかと言うのがわからない筈はありません。そうです。そうなのです。常識で言えば「71歳の老人に品性の欠ける行ないがわからない筈がない」のです!

ではなぜ望月岳陽は71年という人生経験を積みながらこうした品性のない記述を平気で世間に晒しているのでしょう?これにはおいらも悩みました。最初は何か別の狙いがあってワザとこうした書き方をしているのだと勘ぐっていました。しかしおいらの分析は驚くような着地点を向かえました。

こう考えるとすべての辻褄が合うのです。「品性という概念が最初から欠落している」と。
そう仮定してすべての望月岳陽のブログを読み返して見ると、とてつもなく収まりが良いのです。
「望月岳陽は品性という概念が最初から欠落している」これを前提として読み進めると、幾重にも折り重なるように吐き出された岳陽の言葉になんの抵抗感も無く、サラリと流す事ができるようになるのです。この発見においらは解脱したような気分になりました(笑)。

実際そういう結論しか道がなかったのです。常識で言えば「71歳の老人に品性の欠ける行ないがわからない筈がない」のです。しかし望月岳陽のブログにはこの常識と相反する記述があちこちに見られます。相反しなければならない理由も探しましたがブログの中に見つける事ができませんでした。事実と論理の間で悩んだ末に到達した結論なのです。

これはおいらの結論であり皆さんと共有することはできないかもしれません。そもそも品性はどこに中心を持ってくるかで高潔・下劣の判断が多分に違ってしまいます。育ってきた環境によっては高潔・下劣の概念すら少なくない隔たりがあるでしょう。極端に言えば「他人様の人相をコケ下ろすのは品性高潔だから」だと言い出す輩が出てきても不思議ではないのです。よってこの「品性という概念が最初から欠落している」は皆さんの賛同を得にくい結果でしょう。そうは言えども、ぜひ一度この前提を試して岳陽のブログを読んで見てください。おいらの分析結果を越えた見解が貴方の脳裏に宿るかもしれません。

おいらは望月岳陽のブログを読んでいると常々感じるのです。71年も生きて来てこのような文章を平気で世間に晒すことができると言う事は、とても寒々とした荒涼たる人生を送ってきたのではあるまいか、と。無論、岳陽は否定するでしょう。しかし想像してみてください。71年という時間は人間にとって決して短くありません。とても暖かい幸せに包まれた人生を過ごしてきた者ならば、ほとんどの執着から開放されて、残りの人生は天が自分にくれたご褒美の時間だと日々を大切に楽しむ境地に至っているはずです。実際においらの知っている老人の幾人かこの境地に至っている人がいます。このように年月を重ねられたらどんなに良いだろう、と、おいらも羨む年の重ね方です(ちなみにこの方達は天命数霊術的には最悪の名前です)。
一方、望月岳陽はどうでしょうか?平気で他人様の人相をコケ下ろし、科学的にも統計的にも証明されていないバッタ物な天命数霊術普及の為に都合の良い解釈やこじつけ・屁理屈を恥とも思わず書き散らし、あちこちから批判を受けても「これは地動説だ」とわけのわからん弁解で誤魔化し、批判が続けば”個人批判はやめろ”とまくし立て、批判がどれほどスジの通った論理的批判であっても、まるで意見を聞かずに”中傷・妨害”と一方的に決め付け無視したあげく、”異次元の世界が見えてくる気がする”(前回POST参照)と意味不明な言動で己れを神格化して読者を籠絡しようと画策している。こういう現在を過ごしているのです。少なくともおいらにはそう見えます。おいらが「とても寒々とした荒涼たる人生を送ってきたのではあるまいか」と予想するのも無理からぬ事であると理解して頂けるでしょう。

[第687回]より抜粋 
「水戸黄門」の時代劇や「サスペンス・ドラマ」を見ても、”善人と悪人”の区別は、人相見れば分かりますよね。

ええっ?!
ちょ…ちょっと…。
時代劇やドラマの善人や悪人は役者さんが演じているのですよね?
望月岳陽はその事実を知らない筈はないよね?
つまり岳陽は「演じている役者の人相を見れば、その時代劇・ドラマにおいての”善人”の役か”悪人”の役かがわかる」と、言っているということで間違いありませんよね?
呆れ返るほどに失礼極まる奴!まったく下劣だね望月岳陽は。役者の芝居を”善人・悪人らしい”を言うのならともかく、取り替えのきかない役者の顔を指して”悪人相”で愚弄するとは。望月岳陽の下劣な品性を証明するに相応しい文章ですね。

おいらも決して品性高潔な部類には入りませんが、望月岳陽よりは何倍もマシであると確信できる今日この頃です。