2009年10月20日火曜日

天命数霊術?運ころんだの!

前回の選挙でいきなり全国区に候補者を立てて話題になった「幸福実現党」は誰もがご存知の事と思います。その支援団体、というかそのものである「幸福の科学」という気持ち悪い教団も、今では知っている方が多いのではないでしょうか。

幸福の科学は大川隆法を信仰の対象にしています。大川自身は自らを「釈尊(お釈迦様)の再誕であり、救世主である」と公言しています。大川は昭和56年3月に突然「神がかった」そうで、日興上人からのメッセージを受け、無意識に手が動いて文字を書く「自動書記」現象が起こり、この啓示によって「人類救済の大いなる使命を自覚した」のだそうです。そして昭和60年10月釈尊の啓示と称する教典を発刊し「幸福の科学」を設立しました。教団名は隆法が受けたという日蓮聖人の「これは宗教ではなく、哲学であり、幸福の科学なのだ」とかいう霊言に基づいているそうです。教団名に「科学」とついていますが、内実にまったく科学的なところがありません。

教団名の由来をもう一度確認します。「これは宗教ではなく、哲学であり、幸福の科学なのだ」
望月岳陽の天命数霊術は「この説は占いや宗教ではありません。人文科学的な根拠にもとづいたもの」

いかがです?とっても似ているでしょう?
隆法はたかが新興宗教の分際で「哲学」だの「科学」などとフザケた事を言って大衆を惑わせています。岳陽もたかが占いの分際で「人文科学的な根拠にもとづいたもの」などとワザと大衆が科学だと錯覚を起こすように言っています。そしてどちらも共通しているのは「科学的に実証されていない」ということです。どちらも本人がそう言っているに過ぎないのであり、実際に証明されたことは一度もありません。このことから認知しなければならないことは、望月岳陽の天命数霊術を信じるという行為は幸福の科学を信じるという行為と「行動のレベル」においてはまったく違いはない、ということです。「天命数霊術」にハマっているという行為は「幸福の科学にハマっている」というのとまったく同じである、と言う事を正しく理解する必要があるでしょう。つまり天命数霊術を信じるということはそのくらい異常な事であると言う事です。ハマっている人は自分が異常とは思わないところも似ていますね。

これを読んでいるあなたがもし幸福の科学の正会員で天命数霊術にハマっているなら、もはや救いようがありません。諦めてください(笑)。

[第573回]より抜粋
もし、ご自分が天国に行き、下界を見下ろした時、
「いい加減な”ニセ霊能者”が、公共の電波を使い、全国に自分の霊を呼び出すなんて、失礼も極まりない!それに、”霊”は電波と言う”電磁波”が一番嫌いなのだ!静かに楽園いるのにテレビで公開とは何事だ!霊視で自分を呼び出すなら、遺族だけでコッソリしてくれ!」
と言う気持ちが本当ではないでしょうか?
<中略> 
さて、この「下ヨシ子」氏の講演会に行った人から聴いたのですが、「真言宗の修行をして、霊能力が付いた」とのこと?
それを聴いて、私は”ウソだ!”とすぐ分かりましたよ。

霊能力(霊視)は、修行では付かないのですよ。霊能力はある日、突然のこと身に付く能力なのです。(”除霊・浄霊”は修行で身に付くことはあります。) 「霊視能力」と「除霊能力」と混同していること自体、「下ヨシ子」氏は霊能者としての資質に疑いがあります。実際に霊視での発言は、具体性がなく、誰でも 言える抽象的な話ばかりですよ。(最近の江原宏之も銀座の母も具体性がない話ばかり。)本者は、人名・地名・家屋や土地環境など固有名詞や具体的な事実まで当てますよ。
私の娘は、中学1年生の時、修行など1日もなく、ある日突然、霊視と予言能力が付いたこと、ブログに投稿済ですね。
これに比し、従兄は真言宗高野山派の住職で、約50年間、高野山本山、信貴山・京都東寺・大覚寺・永平寺などで”荒修行”をして来ましたが、霊能力はなく、”霊視”は娘に聴いているほどなんです。
第一、”霊視”を、電磁波を嫌うテレビで全国に公開するなんて、本者の霊能者はしませんよ。
あなただって、折角、天国で静かに暮らしているのに、ある日、突然、テレビで公開されたら、嬉しいですか?
こんな霊の気持ちも理解していない”ニセ霊能者”でも、テレビに出演している「下ヨシ子」や「銀座の母」などを妄信している日本人は、なんて単純な民族でしょうね。

天国にいる霊は電磁波を嫌うのですか?霊の気持ちが分かるのですか?へええ。
ところで天国ってどこにあるんですか?住所教えてもらえませんか?(笑)
望月岳陽は書いてますね。「霊能力(霊視)は、修行では付かないのですよ。霊能力はある日、突然のこと身に付く能力なのです。」だとしたら、大川隆法も本物の霊能力者にと言う事になりますね。愚かしい事です。

それにしても70代の爺さんが「霊は電磁波が嫌いだ」とか「天国に暮らしているのに」とか、よく書くことができますよねえ。一体どんな生き方してきたら、そんなことを恥ずかしげもなく書けるようになるのでしょう。

望月岳陽は自分の娘が”本物の霊能力者”であるとたびたびブログに投稿しています。天命数霊術の例外のひとつである「霊障」もこの娘を利用したものでしょう。岳陽の投稿を読んでいると感じますが、自分の娘が”本物の霊能力者”であることが自慢でもあるようです。

さて、あなた自身は霊が見えますか?また、あなたの回りの親族、友人、知人を含めて「霊が見える」人は何人いますか?
おいら自身は無論霊なんぞ見えません。試しにおいらの回り30人の親族、友人、知人に「霊の見える奴を知っているか」と聞いて回ったら、誰も「そんな知り合いはいない」との返答でした。この30人にひとりあたり30人の友人・知人がいると仮定した場合、およそ900人は「霊が見えない」という事になりますね。あなたもぜひ試してみてください。霊が見える奴なんていないのが普通です。稀に「見える」なんて言うおかしな奴が一人くらいはいるかと思いますが、圧倒的にほとんどの人は「見えない」でしょう。まともな通常の人に霊は見えないものなのです。そうですよね?圧倒的な数の人々が霊なんて見えないのですから。通常普通の人に霊は見えません。

よって「霊が見える人」は「異常」なのです。通常ではないという意味で異常なのです。普通ではないのです。まともな普通の人ではないから霊が見えるのです。そうでしょう?圧倒的多数の人に見えないものが、その人には見えるのだから異常としか言いようがないでしょう。単なる異常者でしかない霊能者は偉くもなんともありません。本当かどうかわかりませんが、変な物が見えたり聞こえたり感じれたりするだけの存在です。

ここで疑問が起こります。なぜ通常ではない”異常者”の言うことを”通常の人”が受け入れなければならないのでしょう?異常者の言う事を通常の人は見たり感じたりすることができません。異常者の言う事を裏付けることはできないのです。嘘をつかれていてもわかりません。通常の人は異常者の言う事を見たり感じたりすることができないために「もしかしたらそうなのかも…」という考えに囚われがちです。そしてそういう浮ついた心持ちにつけ込まれてしまいます。

考えてみましょう。あなたの人生で霊が見えなくて困ったことはありますか?霊が見えなくて損したことはありますか?ないでしょう。あるわけありません。霊が見えたり感じたりできたところでなんの得もないのです。霊が見えないことで子孫が絶えるということもありません。実際あなたは何世代も前の先祖から連綿と続いて生きて来ているではありませんか。霊がこの世にどれだけ溢れていようとたいした問題じゃないのです。てんでへっちゃらなのです。あなたに関係ないのです。霊なんていませんが、仮にいたとしても空気中無数に浮かぶ塵芥と同じようなものです。

霊障と間違えられやすいのが”運”です。霊障はありませんが運はあります。交通事故を連想してみればわかるでしょう。交通事故は自分がその場に数秒前もしくは後にたどり着いていればその事故を避けることができる場合がほとんどです。ちょうど良くその場所に居たために事故にあってしまうのです。自分にまったく落ち度がなくても起こります。これは運以外のなにものでもありません。

「運」というのは「可能性の振り子」です。可能性の振り子は一定の軌道を同じタイミングで行ったり来たりを繰り返しています。人間には幾つもの可能性の振り子が動いています。頭の中でイメージしてみてください。
車の運転という振り子の軌道上に衝突事故という点があります。車同士の衝突事故の場合は相手の振り子と自分の振り子が同じタイミングで衝突事故の点の上にあった、ということなのです。通常はそう頻繁には起こりませんが、絶対起こらないことではありません。これが運の正体です。霊障などではないのです。よく事故が起こる場所などは単に振り子のタイミングが合いやすい場所ということです。だからその場所に少し手を入れて、振り子のタイミングをズラしてあげるとたちまち事故が減るのです。

滅多に起こらない事ほど振り子の振幅は大きくなり、軌道上の点も小さくなります。例えば望月岳陽が読者の不安を煽る材料としてよく使っている「生まれついての難病」も、誕生という可能性の振り子上の点です。発生率が非常に稀なのは振り子の振幅が大きく、難病という軌道上の点も小さいためです。しかし絶対に起こらないわけではありません。逆に言うと誰もがその点を持っているということです。

この振り子からは如何なる人間も逃れることはできません。そして振り子を意図的にコントロールすることはできません。改名や命名によっても振り子の振幅や点の大きさをを変えることはできません。改名しても車の運転をすれば衝突事故の可能性から逃れられないからです。

霊障は存在しません。まったくありません。どれほど霊障のように見える現象でも単なる「可能性の振り子=運」です。運だけが存在するのです。運の悪い出来事は可能性の振り子により発生するのです。振り子の…いや、ちょっと話が横に逸れ過ぎるのでやめましょう。

幸福の科学をはじめとする新興宗教を見ればわかるかとおもいますが、科学的に証明されていないことを信用するということは非常に愚かしいことであり、危険なことです。かつてのオウム真理教は毒ガスによる殺人まで犯しました。幸福の科学の教義と天命数霊術は程度の違いこそあれ、科学的に証明されていないという枠組みにおいて大して変わりません。おいらは決してオーバーに言っているわけではありません。より正確に言うと、天命数霊術のようなデタラメを「もしかしたらそうなのかも…」という気持ちで受け入れてしまうような心持ちこそが、めぐりめぐって幸福の科学のような気持ち悪い教団を大きくしている原因ということなのです。

天命数霊術は科学的に見て正しいですか?いや、科学的に証明するまでもありません。天命数霊術的に完璧な名前が事実として不幸な結果になっているのです。おいらのブログでもそれは何度も証明してきました。非科学とはキッチリカッチリ壁を作って接触を断ちましょう。
「もしかしたら…」なんてことは絶対にないのです。